長い髪をなびかせ、現役時代さながらのスリムな体型の元日本代表サッカー選手・北澤豪さん。じつは障がい者や途上国といったサッカー選手に対して、長きにわたる支援を続けていました。(全4回中の1回)
障がいのある選手と練習するのは当たり前だった
── 元サッカー日本代表で、現在は、日本障がい者サッカー連盟会長でもある北澤さん。そもそも障がい者サッカーに触れるきっかけになったきっかけを教えてください。
北澤さん:中学時代、読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)のジュニアユース(15歳以下の中学生年代)に所属していたのですが、TOPチーム選手として活躍していたラモス(瑠偉)が、耳が聞こえない子や目の見えない子など、障がいのある子どもたちを連れてきてサッカーをしていたんです。ラモスから「一緒にやろうよ」とうながされ、プレーをしたのが彼らとサッカーで交流をしたきっかけでしたね。「ブラジルでは、障がいの有無に関わらず、みんなで一緒にサッカーをやるのが当たり前の光景だよ」と聞き、「へえ、そういうものなのか」と。最初は、障がい者の人たちに対して壁があるのではと思っていたけれど、一緒にプレーを楽しむうちに、そうした気持ちはすっかりなくなりましたね。
── 障がい者と健常者の子どもたちが一緒にサッカーを楽しむ。素晴らしい光景ですね。
北澤さん:読売サッカークラブは当時から海外を強く意識していて、その理念に共感する人たちが集まっていました。クラブ内も自由でフランクな雰囲気で、理不尽な上下関係もない。みんな「くん」呼びだし、上の人たちのこともニックネームで呼んでいましたね。当時は日本唯一のプロチームで、大学教授やデザイナーなど、サッカーをしながら二足の草鞋を履く選手もいて、僕ら若者に刺激を与えてくれるカッコいい大人がたくさんいました。
ユースでは海外遠征にも何度か行き、ドイツではリトバルスキー(元ドイツ代表で日本でのプレー経験もあるサッカー選手)のいるチームとも戦いましたが、僕らのほうが強かったんですよ。だから「日本のサッカーは世界と比べて決して劣ってない」と感じていました。ただ、20歳前後から肉体的な差が出てきて逆転しちゃう。どうすれば、その差を埋められるのかなと考えていましたね。
海外と日本では、サッカーに対する考え方や環境、位置づけなどがまったく違っていました。海外のクラブチームは、地域に根差した社会貢献がすごく盛んで、選手たちも自分が成功するとその影響力を活かして地域や人々のために還元するんです。少年時代からそんな海外のサッカー文化に憧れ、日本もそちらの方向を目指すべきではないか、サッカーに対する位置づけを変えていかなくてはという思いを抱くようになりました。
── 少年時代から目指すものが明確だったのですね。
北澤さん:自分がうまくなりたいから練習するし、そのためには自己管理を徹底する。読売サッカークラブでは頑張ることがすべてとか、「言われたからやる」考え方をする人がいませんでした。僕も中学時代から、コーチや監督に「こういうことがやりたいんです」と、どんどん主張していましたね。
── ただ、当時は努力と根性が中心のスポ根時代。部活動では監督やコーチ、先輩ですら絶対的な存在でした。読売の自由なカルチャーとはだいぶ違ったと思いますが、学校では浮かなかったですか?
北澤さん:高校では、サッカー部に入ったのですが、読売のカルチャーに染まりきっていたので、めちゃくちゃ浮いてましたね。先輩を「くん」呼びしてボコボコにされたことも(笑)。最初はチームの雰囲気にもなじめなかったけれど、「もっと自由に楽しさを感じながらサッカーと向き合うべき」という考え方を監督も徐々に理解してくれ、チームにサッカーを楽しむ雰囲気が生まれ出して、学校創設以来初の全国選手権にも出場できました。そういう意味では、チームにも貢献できたのではないかなと思っています。
墜落事故がきっかけ「途上国のサッカーに思いを馳せ」
── その後、ヴェルディ川崎で三浦知良選手やラモス瑠偉選手らとともに黄金期代を支えるスター選手として、Jリーグを盛り上げ、日本代表としても活躍されました。一方で、現役時代からサッカーを通じた途上国支援にも積極的に取り組み、引退後はJICA(国際協力機構)のオフィシャルサポーターとしても活動されています。途上国への支援は、もともと個人で始めたものだそうですね。
北澤さん:1993年にザンビアの代表選手らを乗せた航空機が墜落する事故がありました。それまで強豪チームだったのに、主力選手を亡くしてチームが一気に弱体化し、サッカーの火が消えてしまった。それってすごく悲しいじゃないですか。さらに、国の平均寿命が50歳にも満たないと知り、心が痛みました。サッカーを通じて自分に何かできないだろうかと、個人的にザンビアを訪れたのが支援活動の始まりです。
そこから、カンボジアをはじめアフリカなど、80か国以上の国へ行き、サッカーボールを贈って子どもたちにサッカーを教えたり、グラウンドや学校を作るためのサポートをしたりと様々な活動をしてきました。世界の3分の2は途上国で、いまだスポーツを楽しむことすらできない人もたくさんいます。誰もが平等にスポーツを楽しめるような環境づくりに貢献したい。そんな思いがありますね。
近年は、日本がやってきた足取りを他の国に伝えていく活動も始めています。子どもたちを育成するために地域ごとにコーチングスタッフを置いたり、アカデミーを創設したり。JICAとJリーグ、日本サッカー協会の共同で、指導者の派遣事業を作り、途上国に派遣する活動も行っています。