選手時代の晩年に出会った「ブラインドサッカー」

── 現役時代から社会貢献に関わってきた北澤さんが、障がい者のサッカーチームに関わることになったのはなぜですか?

 

北澤さん:日韓ワールドカップが行われた2002年、知的障がい者によるサッカー世界選手権「もうひとつのW杯」で日本代表チームのテクニカルアドバイザーに就任することになり、代表としてのマインドを選手たちに伝える役割を担いました。大会は盛り上がったものの、観客は外国人がほとんど。日本人の障がい者サッカーの認知度の低さを痛感しました。

 

北澤豪
障がい者の募金活動にも積極的に行う

同年、元サッカー日本代表の釜本邦茂さんのお姉さんから、目が見えない人たちのサッカー「ブラインドサッカー」の立ち上げを手伝ってほしいと声をかけられたんです。ブラインドサッカーとは、視覚に障がいのある選手たちがアイマスクを着用し、音と声のコミュニケーションでプレーする5人制サッカーのこと。じつは釜本さんのお姉さんは、将来的に視力をなくしてしまう病気で、ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者の支援をしたいとのことでした。3チーム揃えばリーグ戦ができ、日本代表が編成できるからと言われ、「僕が力になれるなら、ぜひともお手伝いさせてほしい」と即答しました。

 

まずは、選手を勧誘するところからスタート。グラウンドに目が見えない子たちを呼んで、「こういうサッカーがあるんだけど、やってみない?」と声をかけてまわり、なんとか3チーム作ることができましたね。

 

── ブラインドサッカーの試合を動画で見たのですが、視覚障がい者ということを忘れそうになるくらいドリブルもステップも華麗。ビックリしました。

 

北澤さん:そうなんですよ。相当の努力をしない限り、あんなふうにはできないです。生まれながら目が見えない人もいれば、大人になってから病気で見えなくなって残像がある中でやっている人も。健常者が片目にパッチを貼った状態で練習に参加することもあるんですよ。

 

── それは何のために…?

 

北澤さん:チームを強化するためのプログラムを作るには、彼らがどんな感覚でサッカーをしているのか知っておく必要があります。でも、健常者がアイマスクしてサッカーをするのは、ものすごく怖い。僕も経験しましたが、前に進むことすら大変で、頭もクラクラしてきます。グラウンドにいる選手たちとコミュニケーションを取ってプレーを進めていくには、「言葉」がとても重要です。できるだけ具体的な言葉で明確に伝えなければいけません。「前に進んで」だけではダメ。どの方向にどれくらいの距離を進めばいいのか、「あれが」「これが」なんて中途半端な言葉は通用しない。すべて具体的に言語化することが大事です。

 

── つい「あれ」「それ」など、雑な伝え方をしてしまっているなと…。どんな言葉でどう伝えれば、相手が理解できるのか。想像力と思いやりが必要だとあらためて気づかされます。

 

北澤さん:最近はあまりしゃべらない人が多いし、子どもたちのコミュニケーション能力も下がっています。なので、僕たちも学校や企業に出向いて、コミュニケーションスキルの研修や勉強会を行ったり、目隠しをしてブラインド体験をしてもらう活動も行ったりしています。自分で経験することで、ふだんとは違ったコミュニケーションの必要性を実感できるし、障がい者理解が深まります。ブラインドサッカーは、これからの共生社会の縮図だと思っているんです。

 

── どういう意味でしょう?

 

北澤さん:ブラインドサッカーでは目の見える人と見えない人が、力を合わせて協力しないと試合が成立しません。晴眼者(視覚障がいのない人)であるゴールキーパーが、後ろから選手に声をかけるほか、相手チームのゴール裏にもガイドがいて、「こっちだよ」と誘導してくれる。自陣のサイドフェンス外側には監督がいます。グラウンド内は障がいのある人、ない人がごちゃまぜになって社会を構成している。支え合うことで、誰もがわけ隔てなく暮らすことができるんです。

 

PROFILE 北澤 豪さん

きたざわ・つよし。1968年生まれ。東京都出身。本田技研工業サッカー部を経て、読売クラブ(現 東京ヴェルディ)で活躍。サッカー日本代表としても、多くの国際試合で活躍する。03年現役を引退後は、社会貢献活動にも取り組み、日本サッカー協会参与。日本障がい者サッカー連盟会長などを務めている。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/北澤 豪