誰かが後悔しないためにも伝えたい

── 使命感があったのですね。

 

宮島さん:私はアナウンサーとしてしゃべる仕事をしているので、自分が体験したことをしっかり伝えることが使命だと思いました。自分の経験を活かして、少しでも誰かの不安をやわらげることができたらいいなと。もっと早く生理の痛みに気づいて対応していれば、あの痛みを避けられたかもしれない。あんな痛い思いをみなさんにはしてもらいたくない。そんな思いが「伝えたい」という気持ちにつながっていきました。

 

── ネガティブな気持ちは出てこなかったのですね。

 

宮島咲良
「手術は3時間14分」子宮内膜症の術後すぐの宮島咲良さん

宮島さん:ネガティブな気持ちになる前に「早く伝えなきゃ!」という気持ちが強かったですね。手術の前に、担当の医師から「手術をすることで、妊娠しにくくなるかもしれない」と説明を受けました。そのときに、私が子宮内膜症になった意味を考えました。私はもともと、絶対に子どもが欲しいとか、出産に対する執着があまりないんです。そんな私がこの病気になったのには理由がある。出産したいと強く願っている方たちに、客観的に病気を伝えるためなのかもしれないと思いました。今、苦しんでいる人や、これから後悔するかもしれない人たちのために伝えたい。そして、無事に出産をしてほしい。自分が伝えることでだれかに寄り添えることがあるなら、これからも伝えていきたいという気持ちです。

 

── 手術を終えて日常生活に変化はありましたか?

 

宮島さん:大げさではなく、手術をして人生が180度変わりました。生理痛がなくなったのですが、痛みがないだけでこんなにも快適な世界があるんだと。今までは毎月、生理がくるのが本当に苦痛で、大事な予定や楽しい予定があっても、生理がきただけで地獄のようでした。生理痛がなくなったことに加え、「生理痛で人に迷惑をかけるかもしれない」「痛みで横になって迷惑をかけてしまった」という精神的な負担がなくなったのも大きいです。痛みを感じたときにちゃんと病院に行くべきでした。

 

── 現在は、ご自身の体とどう向き合われていますか?

 

宮島さん:以前は自分の体に異変を感じても結構、無視していたんです。痛みをなかったことにして、仕事もプライベートも自分のやりたいことに打ち込んでいました。でも、手術後からは自分の体の声を無視しないようにしています。体調で気になることがあれば、すぐに病院に行く。スケジュールを立てるときも、以前はやりたいことを無理にでも詰め込んでいましたが、今はきちんと休むことを意識しています。月単位でスケジュールを見て、体調と相談しながら予定を入れられるようになりました。病気がきっかけで、考え方も日常もがらりと変わりましたね。

 

PROFILE 宮島咲良さん

みやじま・さくら。タレント・フリーアナウンサー。東京都出身。ワタナベエンターテインメント所属。大学卒業後の2007年、アナウンサーとして九州朝日放送に入社。2010年に同社を退社し、アナウンサーの枠を超えて幅広く活躍。

 

取材・文/大夏えい 写真提供/ワタナベエンターテイメント