母の「大丈夫?」に返信する余裕がなかった
── 中学生でご家族と離れて暮らすことは大きな決断だったと思いますが、不安はありませんでしたか。
栗原さん:近畿地方で1位、2位を争う強豪チームに呼んでもらえたので最初はうれしかったですし、バレーボール選手になりたいという夢に近づくチャンスかもしれないというワクワク感が大きかったですね。ただ、いざ行くとなったときには、単身だし、友達もいないし、生活環境もガラッと変わってしまうし…と、いつの間にか楽しみが消えるぐらい不安ばかり感じるようになっていました。
── 単身での在学中はご家族に支えられた場面も多かったと思います。
栗原さん:当時兄がポケベルを持っていたんですが、単身で兵庫の中学校に行くということで、私は兄よりも先に携帯電話を持たせてもらったんです。ただ、ほぼ使っていなかったですね。いつも母親が「大丈夫?」と連絡を入れてくれていたんですが、気持ちに余裕がなかったですし、なによりも家族を心配させたくなくて、返信がなかなかできなかったんです。それに、つらいのに「つらくない」と嘘もつきたくなかった。それなら連絡しない方がまだいいのかなって。でも親にしてみれば連絡をするのに返事がないって最悪ですよね(笑)。きっと「なんでもいいから返してこい」と思っていたはずなのに。
── 当時どう思っていたのかお母さんに聞いたことはありますか?
栗原さん:やっぱり心配でしかなかったと言っていました。ただ、私がそういう性格的だと理解していたので、察してくれていた部分はあったと思います。たまに一文だけ「大丈夫」とメッセージを返していたんですが、そのひと言や絵文字だけで、調子がいいのか悪いのか、私がどういう状態なのかわかるようになっていたと言っていました。
── 学生時代から順風満帆だと思っていましたが、悩みが多かったんですね。当時の経験が現在につながっているなと感じることはありますか。
栗原さん:正直、あのころには2度と戻れないと思うぐらい当時はつらかったですが、そういう経験を踏ん張って乗り越えてきたからこそ、多少のことでは動じなくなったと思います。今思うのは、「なるようになる」「なるようにしかならない」ということですね。自分でコントロールできない領域についてはあれこれ思い悩んだところでどうにもならないもの。それなら自分の力でコントロールできることに最善を尽くすことが大切なんじゃないかって。それは精神的にもきつかった10代、20代で学んだことかもしれません。