自分がコントロールできないことに悩むより
── 高校時代には日本代表にも選出されました。「プリンセス・メグ」という愛称で親しまれていましたが、注目されることに対してのプレッシャーはありましたか。
栗原さん:実は高校時代はほぼテレビが見られない生活をしていたんです。テレビを見る時間もなかったですし、食堂にしかなかったので、朝食時にニュース番組を見るというくらいでした。だから、最初はあまりピンと来ていなかったんです。日本代表として初めて出場した大きな大会が2003年のワールドカップでしたが、それがどれだけすごいかということにもあんまり気づいてなくて(苦笑)。それよりも先輩方に早く追いつかないといけない、上手くならないといけないという必死さが勝っていましたね。試合自体に対する緊張感が大きくて、あまり外野まで気にする余裕はありませんでした。
ただ、代表での立場も変わっていきましたし、自分のプレーひとつでいろいろ報道されてしまうことに対する恐怖心は多少、感じるようになりました。責任が伴ってきますし、栗原恵といういち個人ではなく、代表として見られるという部分では、不甲斐ないプレーはできないと、重いものを背負いながら戦うようになっていましたね。
── そういった経験をされているからこそ、普段の生活の中でも、現役引退後も多少のことでは動じないといった部分もあるのではないでしょうか。
栗原さん:人間なのでもちろん落ち込みますし、どうしようと不安になることもあります。でも、その中でも自分がコントロールできることにフォーカスしようと心掛けています。
── 自分がコントロールできないことに悩むのは時間ももったいないですよね。
栗原さん:私はただバレーボールが好きで続けているだけなのに、現役時代は自分の意図とは異なることや、色々な憶測で話が一人歩きしてしまうこともありました。それは選手時代だけに限らず誰にでも起こりうることだと思います。でも真実はひとつしかないと思うんです。コントロールできないところを気にするよりも、自分のことを大切に思ってくれる人たちにフォーカスすることがいちばんなんじゃないか。今はそういうスタンスで向き合っています。
PROFILE 栗原 恵さん
くりはら・めぐみ。1984年広島県生まれ。小学4年からバレーボールを始め、中学、高校と強豪校でプレー。2001年に全日本女子に初選出され、翌年に代表デビュー。エースとして活躍し、04年アテネ、08年北京と2度のオリンピックにも出場した。現役引退後はコメンテーターやスポーツキャスターとして活躍し、後進の育成などにも力を入れている。
取材・文/石井宏美 写真提供/栗原恵