30歳で同級生に「コントをやってみない?」

アキラ100%
ピン芸人の前はコンビ「タンバリン」として活動

── どうして役者から芸人に転向されたのですか。

 

アキラ100%さん:30歳になっても役者としてはうまくいかなくて、どうしたらいいかわからなくなって疲れてしまったんです。それでも「まだ終わりにしたくない」という気持ちがあって、お笑いをやってみることにしました。もともと俳優を目指したのも「舞台で楽しいことをやりたい」という思いがあったからなので、僕としてはまったく別のことをやっているという意識はなかったんですよね。

 

当時はコンビでコントをやっていました。大学の同級生におもしろいやつがいて、ちょうど仕事を辞めてキャリアアップのために学校へ通うという話をしていたので、「一緒にコントやってみない?」と誘ったんです。「台本は書くから」と。そうしたら、「おもしろそうだし、いいよ」と言ってくれて「タンバリン」というコンビを組みました。

 

── 具体的にはどのような活動を?

 

アキラ100%さん:「お笑い芸人になる」と決めたものの、どうすればいいのかわからなくて、いろいろ調べてみたんです。吉本興業さんにも人力舎さんにもお笑いの学校があるんですが、4月に入学するときに授業料を一括で納めないといけないんですよ。僕らはお金がなかったので、ネタ見せをしておもしろかったらライブに出してもらえる場とか、フリーのライブを見つけて、「タンバリン」というコンビで活動していました。

 

そうしているうちに、「ソニーにお笑い部門がある」と聞いて、今所属しているSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)に面接に行ったんです。「やりたい人は誰でも入れるし、週1のネタ見せでおもしろかったら事務所のライブに出られる」と聞いて、この事務所に入ることにしました。

 

──「ネタ見せ」というのは?

 

アキラ100%さん:2、3人の構成作家さんの前で3分くらいのネタを披露して見てもらうんです。おもしろければライブに出してもらえるし、ダメでも「もっとこうしたらいいんじゃない?」とアドバイスをもらえます。相変わらずアルバイトをしながらの生活でしたけれど、人前で演じて笑いをとるのは楽しかったですね。「お笑いの魔力」なんていいますけど、まさに魔力にとらわれていました。

 

── 芸人としては遅いスタートに、焦りなどはありませんでしたか。

 

アキラ100%さん:たしかに当時は、30歳を過ぎてからお笑いを始める人は少数派でした。むしろ「30歳になったらやめる」と言っている人が多い時代でしたね。でも、焦るよりは「まだ終わりにしたくない。いつか売れてやる」という前向きな気持ちのほうが大きかったです。

 

ちょうどそのころ、エド・はるみさんがブレイクして、それからは40代、50代の「若手」芸人もめずらしくなくなりましたよね。今は会社員をやりながらお笑いをやっている人や、リタイアしてから始める人もいて、すそ野は広がっていると思います。

 

アキラ100%
厚木ロケでととのえ中のアキラ100%さん(Instagramより)

 

PROFILE アキラ100%さん

あきら・ひゃくぱーせんと。お笑いタレント。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。「お盆芸」でブレイクし、「R-1グランプリ2017」で優勝。本名「大橋彰」の名前で俳優としても活動している。1児の父。

取材・文/林優子 写真提供/アキラ100%