約3年間の不妊治療を経て、38歳で第一子を出産したタレントの浜口順子さん。3回目の体外受精で妊娠が判明したとき、「喜びよりも不安に襲われた」と話す浜口さんに、妊娠と出産までのエピソードをお聞きしました。(全4回中の4回)
夫の言葉をきっかけに35歳で妊活をスタート
── 31歳で結婚されて、35歳から妊活をスタートされたそうですね。
浜口さん:そうなんです。子どもはいつかほしいと考えていましたが、「仕事もしたいしまだいいかな」と先送りにしていました。母が37歳で私を産んでいたこともあり「まだふたりの生活でいいや」と余裕を決め込んでいたんです。
35歳になったとき、夫から「そろそろ子どものことを考えよう」と言われました。その後、病院でブライダルチェックを受け、婦人科の指導のもと、妊活をスタート。しかし、1年間授からず、不妊治療に特化した病院に転院することを決めました。
── どのような治療を行ったのですか?
浜口さん:さまざまな検査を受け、2回の体外受精にトライしましたが妊娠には至らず…。実績のあるクリニックに通っていたこともあり、「ここでダメなら、もう妊娠できないのでは」と自暴自棄になってしまいました。
三重県に移住後、最初の体外受精で「妊娠判定」を受けて
── ちょうどそのころ、三重県への移住が決まったんですよね。
浜口さん:そうです。三重県に引っ越してからは、少しの間、治療を休むことにしました。「何も考えず、好きなことをして三重を満喫しよう」と考えたんです。
半年後、「そろそろやるか」と重い腰を上げて治療を再開。以前通っていたクリニックの先生から「治療法を変えてみては?」とアドバイスを受けていたことから、これまでとは違うアプローチで卵巣刺激法での体外受精を、名古屋のクリニックで受けることにしました。
しかし、体外受精を受けた後も、体調面での変化が表れず…。「妊娠すると何らかのマイナートラブルが出てくる」と思い込んでいた私は、「今回もダメなんだ」と落ち込みました。妊娠しているかどうかがわかる「判定日」が近づくにつれ、私はナーバスになり、夫の前で号泣。頑張って治療に取り組んだにもかかわらず、先生から「ダメでした」と聞かされたときの気持ちといったら…。まるで「不合格」を突きつけられたような気分。東京のクリニックで、それを2度経験していた私は、結果を聞くのが怖くて仕方がなく、夫に「代わりに聞いてきて」と泣きながら頼み込んだほどでした。
── 浜口さんの様子を見て、パートナーはどのような対応をしてくれたのですか?
浜口さん:「とりあえず、結果を聞きに行こう」となだめ、一緒に病院につき添ってくれました。しかし、予想に反して先生の口から出てきたのは「妊娠しています」の言葉。意外な結果に、「嘘やん!」という気持ちになり、その直後「どうしよう」と不安に襲われました。「クリニック内では感情を出さない」と決めていた私と夫は、無表情で会計を済ませ、病院を出ました。その後、駅に着いてからようやく「大変なことになった」と言葉を交わしたんです。
── そのときも、うれしさより不安が勝っていたのでしょうか?
浜口さん:そうですね。先生からは「まだ流産の可能性がある」と言われていたため、ぬか喜びはできず、不安のほうが大きかったです。また「流産は自然淘汰で起こるため、仕方のないこと」と説明を受けていましたが、私たちは「自然淘汰させたらいけない。この命を守らなければ」というプレッシャーを感じていました。合計3回の体外受精に挑戦し、たくさんの人の力が携わって紡いだ命の重さを、感じていたんだと思います。