中岡くんに連絡するも「それどころではない!」
── NSC卒業後はどうされたのですか?
コカドさん:NSCには1年間通い、高校2年生のときにいっしょにNSCに通っていた高校の同級生と「市川塾」というコンビを組みました。現役高校生コンビとして劇場などに出ていたのですが、20歳のころにどうしても大好きな古着に関わる仕事がしたくて、お笑いを一度辞めたんです。
古着屋に就職して1年弱働いたのですが、その日々が本当に楽しくて幸せで…。自分にこの先どんなことがあっても、古着屋で働けさえすれば自分は幸せな毎日が送れるとわかりました。そのような自分にとっての幸せのベースがわかると、安心感があるからか「途中で辞めてしまいったお笑いにもう一度挑戦したい」という気持ちが湧いてきたんです。もしお笑いがダメでもまた古着屋で働けばいいと思えたのが、大きかったんだと思います。
── それで古着屋を辞めて、再びお笑いの道に?
コカドさん:そうですね。21歳のときに上京して、またお笑いを始めました。最初は「サタディサンディ」というトリオを結成して事務所に所属しました。その後は事務所を移籍したり、トリオ名を改名したりしながら続けていたのですが、25歳のときにひとりが脱退。さらに27歳のころにもうひとりも急に蒸発したんです。それで彼と僕の共通の友人だった今の相方の中岡くんに連絡をしたら、中岡くんから「自分もそれどころではない!」と。よくよく話を聞くと、「芸人を辞めて結婚資金を貯めるために5年間工場で働いていたのに、彼女にプロポーズしたら断られた」って言うんです。
それで、中岡くんの傷心旅行も兼ねて、共通の知り合いの構成作家さんと3人で沖縄に行くことになりました。それがものすごく楽しかったのと、その構成作家さんが僕と中岡くんそれぞれに2人でお笑いをやったらいいと勧めてくれて。構成作家さんがキューピッドになってくれたことで、ロッチをやることになったんです。僕としてもそれまでに何回か解散などを経験していたので、これが最後かなという思いでした。
── ロッチを組んでからは順調では?
コカドさん:いえいえ、全然。そもそも結成した時点で中岡くんは工場勤務のために5年間もお笑いから離れていました。そのため、最初は勘を取り戻すのが大変そうでしたし。
── お笑いで大変だったと言えば、コカドさんも滑舌について悩んで手術も経験されたとか?
コカドさん:そうですね。僕は滑舌が悪かったので、よくするための手術も経験しました。歯科医で舌の下にある筋を切って舌を伸ばしたので、カ行とタ行は言いやすくなりましたが、サ行とハ行は変わらず。そして今まで不便のなかったラ行が言いづらくなってしまいました。なので、手術の結果は二勝一敗ですかね。なかなかうまくいきません。
──今後、挑戦してみたいお仕事はありますか?
コカドさん:何度もコンビの解散を繰り返すなど、波乱万丈の芸人人生でしたが、若いころにいざとなれば古着屋に戻ればいいと思えるほど好きなことに出会えたことは、お笑いを続けるうえで幸運でした。最近はその好きなことに趣味で始めたミシンが加わったのですが、お笑いの仕事がなくなっても自分にはほかに幸せだと思える場所があると思えることは、芸人として思いきって発言したり行動したりできるようになるきっかけになった気がします。
最近はドラマや映画のお芝居など、自分がやることになるとは思っていなかったお仕事が意外と楽しかったということが多いです。想定外のことに挑戦することにワクワクを感じるので、今後もそういうお仕事をいただけたらうれしいですね。
PROFILE コカドケンタロウさん
こかど・けんたろう。1978年、大阪府生まれ。2005年に中岡創一とお笑いコンビ・ロッチを結成。2015年にはキングオブコントで3位に輝く。最近の趣味はミシン。2024年11月に著書『コカドとミシン』(ワニブックス)を発売。
取材・文/酒井明子 写真提供/コカドケンタロウ