幼少期に突然、父親がいなくなったというコカドケンタロウさん。高校1年生と早い段階でお笑い養成所に入所するも、お笑いコンビ・ロッチを組むまでにはさまざまな道のりがありました。(全2回中の2回)
いなくなった父親のことを聞けなかった
── バラエティ番組やライブで、お父さんが8歳のころにいなくなった話をされています。どのような幼少期だったのでしょうか?
コカドさん:親父は銭湯が好きでたまに行っていたのですが、その日も「銭湯行ってくる」と言って出ていったまま、夜になっても帰ってきませんでした。「おかしい」と思いつつも、母と2歳年上の姉はそれには触れずに普通に過ごしていて、「これって聞かないほうがいいのかな」と子ども心に察して。次の日からも親父がいないままこれまで通り普通に生活が続いたので、結局なにも聞けずに今日まで過ごしてきました。
でも、不思議と親父がいなくなってからもさみしいと感じることはありませんでした。それは生活が変わったと思わせないように母と姉が僕にすごく気を使っていたからだと思います。やりたいことはすべてやらせてくれたし、嫌だと思うようなこともなく、ゲームが欲しいと言えば姉が買ってくれたこともありました。お笑い番組が好きで、毎日のように見て楽しく過ごしていましたね。
── お笑いの道に進んだのはその影響ですか?
コカドさん:僕は本当に勉強が嫌いで、成績はあまりよくありませんでした。中学3年生のときに「このまま受験しても高校なんて受からないだろう」と思っていたら、母親に「あなたはお笑いが好きだから、勉強がメインではないお笑いの高校に行ったらどうか」と言われたんです。それで吉本興業がやっているNSC(吉本総合芸能学院)というお笑いの学校があることを知り、「ここに進学しよう」という話になりました。
ただ、願書を取り寄せて見てみるとNSCはお笑いの養成所であって、高校ではないんですよね(笑)。親も高校には行ってほしかったようでそれがわかってから「どうしよう」となり、そこから必死に勉強をして、なんとか高校に合格。せっかくなので高校に通いながらNSCにも行くことになったんです。
── 高校1年生でNSCに入学というのは、かなり若かったのではないですか?
コカドさん:最年少でしたね。高校に行くとひとつ上の先輩には敬語で接しなければいけないのに、NSCでは何歳も年上の人が同期。NSCでは同期にはタメ口で話さないと「同期だろ!」とツッコまれるので、かなりとまどったのを覚えています。当時は高校に行って、放課後はバイト、その後にNSCに行くという多忙な生活を送っていましたが、やりたいことができていたのでとても充実していました。