宮崎県の進学校に在籍して受験勉強に励んでいた少女が、JALのキャンペーンガールに選ばれて人生が一変します。今年で芸歴42年を迎えた斉藤慶子さんのデビューのきっかけは実に意外なものでした。(全4回中の1回)

宮崎や熊本を離れるつもりなんてなかった

斉藤慶子

── 芸能生活40年以上になる斉藤さんですが、学生のころは大学進学に向けて猛勉強されていたそうですね。

 

斉藤さん:進学校でしたし、大学受験に向けて高校3年生のころは土日で15時間くらい、週に50時間は勉強していました。私が通っていた高校では当時、学校の掲示板に期末テストの順位が1位から150位くらいまで張り出されていたので、自分の順位が上に書かれるとうれしかったんです(笑)。得意かどうかは別として、勉強が嫌だと思ったこともないんですよね。たしかに世間に出て、数学のXやYの方程式を日常で使うかって言われたら使う場面もないんですけど、自分に負荷をかけて頑張れたのは、今でも自信に繋がっているような気がします。

 

── 人に言われなくても、みずから勉強していくタイプでしたか?

 

斉藤さん:私はやるタイプでしたね。宮崎の田舎に住んでいて、遊ぶ場所や娯楽が少なかった環境もあって、今は勉強する時期なんだと言い聞かせていて。5時間寝ちゃうと、あぁ寝ちゃったなって少し憂鬱になるくらい。

 

── その後、熊本大学に進学されますが、在学中にJALのキャンペーンガールに選ばれたことで芸能界のお仕事をスタートされます。もともとモデルや女優のお仕事に興味があったのでしょうか。

 

斉藤さん:全然なかったですね。芸能の道に進もうとはまったく思っていなかったですし、宮崎や熊本を離れるつもりもなかったんですよ。もし、CAになっても福岡勤務で働きたいと思っていたくらい。東京はとても遠くてキラキラしていて、テレビで見る世界だと思っていました。ただ、当時は女子大生ブームもあって先輩の宮崎美子さんが活躍されていたんです。私も熊本のデパートでモデルのアルバイトもしていましたが、その撮影でたまたま東京に行ったとき、スタッフの方が私を「いい!」とすごく褒めてくださって(笑)。そこからあれよあれよという間に人から人へ私という存在が伝わって、JALのキャンペーンガールのオーディションにたどり着いた感じです。JALのキャンペーンガールに選ばれると、東京ではお仕事に、熊本では大学に行き来する生活が始まりました。

 

── 東京に出てきていかがでしたか?

 

斉藤さん:こんなにテレビのチャンネルがあるんだ!って思いましたし、今までテレビで見たことがある人といきなりお仕事をご一緒することもあってドキドキしました。周りを見ればおしゃれで洗練されて、華がある人ばかり。ただただ眩しく見えました。私も頑張って都会的な洋服も着てみましたが、背伸びしてる感じで似合っているのかどうだったか(笑)。

 

当時は東京で1週間くらい仕事をして、熊本に帰って大学に戻る生活でしたね。かなり目まぐるしい日々を過ごしましたが、メールやLINEがない時代だったし、電話をするとお金がかかる。ホームシックになったこともありましたが、1週間もしたら大学の友達に会える喜びもあったのでなんとかやってました。その後は、お仕事の幅がどんどん広がって、ドラマや映画、歌手デビューなど東京にいる時間も増えてきたので、大学は中退してお仕事に集中していくことになりました。