グラビアアイドルとしてデビューした小島可奈子さんは、自身の会社を立ち上げた直後に、母親の末期がんが発覚、父も緊急入院し、同居していた叔父も脳梗塞に…。仕事、育児、介護をこなす日々の中で、抱えていた葛藤とは。(全3回中の2回)
末期がんの母にショックを受け、父がストレスで
── 芸能界のお仕事がひと段落した数年後の2017年に美容系の会社を立ち上げました。その直後にお母様の病気がわかったそうですね?
小島さん:そうなんです。会社を2017年に立ち上げてこれからというときに母の末期がんが発覚しました。会社を始めて忙しくなるため、これからは母に子育てを手伝ってもらおうと悠長に考えていたのですが、それどころではなくなってしまった。2018年に母は余命宣告をされたのですが、その直後に、次は父が突然倒れました。
── お父さんも持病などがあったのでしょうか?
小島さん:いえいえ、まったく。ただ、父は母に頼りっきりで、母がいないと生きていけないような人。母が余命宣告をされて、母より父のほうがストレスでまいってしまったようで…。
ある日、余命宣告されている母から「お父さんが倒れたから、今から救急車で病院に行く」と私に連絡がありました。慌てて病院に行くと医師から「今夜が峠かもしれない」と。突然のことで驚きながらも、私と母は「もしかしたら母よりも父が先に亡くなったほうが、父は幸せかもしれない」と思ったんです。それでふたりでいっしょに家に帰り、父のことを心配しながらも韓流ドラマを見て過ごしていました(笑)。結局、父は無事に峠を越えて、そのときは元気に退院となりました。
── その後にお母さんが亡くなられたのでしょうか?
小島さん:そうですね。最後はホスピスに入りました。父も毎日お見舞いに来ていましたが、いつまで経ってもなんだか受け止めきれていないようでした。
母が亡くなった後も父は何回か倒れて病院に運ばれています。検査をしたところ心臓に持病があり、水が溜まることがわかったんです。治療には心臓にペースメーカーを入れなければいけないのですが、それを父は嫌がって…。私も少し説得はしたものの「入れたくないならば仕方がない」と諦めていましたが、最終的に本人が受け入れて手術をして入れることになりました。
ただ、その後も風邪などをひくと心臓や肺に水が溜まり、救急車で運ばれることが何回も。そのたびに「今夜が峠です」と言われました。さすがに最初のうちは「今夜が峠です」と言われると泣いていたのですが、何回も峠を越えてきたので最近では慣れてしまいました(笑)。