限界がきて「穴が開くほど壁を殴ったことも」

── 在宅介護をしていたときの様子を教えてください。

 

ハリーさん:大好きな父のため、僕も母も献身的に介護をしていました。仕事以外のすべては、父と向き合っていたと言っても過言ではありません。自由になる時間はほとんどありませんでした。

 

でも、自分たちでなんとかしようと思えば思うほど、追いつめられていくんです。精神的にも極限状態になったし、体調もよくなくて仕事のパフォーマンスも悪くなりました。真剣に向き合うからこそ、父に対するいらだちも増して…。「なんでこんなに簡単なこともできないの?」と怒ったことも。イライラするあまり、穴が開くほど壁を殴ったこともあります。いま思えば父自身を殴っても…いや、命を奪ってもおかしくない精神状態でした。父自身もわからないことが増えて混乱し、家族は振り回されてしまって…。完全に悪循環におちいっていました。

 

── 2015年、介護施設への入居を決めたのはなぜでしょうか?

 

ハリーさん:このままだと家庭が崩壊すると思ったからです。僕も母も限界を超えていました。父は認知症、パーキンソン病と診断されていました。パーキンソン病は脳の異常のため、体の動きに障害が出る病気です。だんだん体がコントロールできなくなり、歩行困難やトイレが間に合わないといった症状が出てきました。その一つひとつをフォローするだけでも精いっぱい。しかも物忘れが増えた父は、母が誰なのかわからなくなり、着替えの途中で殴りかかることもありました。

 

介護施設にいるお父様を訪問したハリー杉山さん
時間が許す限り、介護施設にいるお父様を訪問したハリー杉山さん

家族だけで支えるのはムリだと思い、日中だけデイサービスを利用することになりました。そこで、ようやく母も僕も自分の時間を持てたんです。2015年、介護施設に空きができ、入居しました。日本では「家族で介護するべき」といった価値観があるように思います。でも、そうした精神論を美徳とするのは、すぐにやめるべきだと身をもって学びました。自分たちを追いつめると家族は崩壊するし、待っているのは地獄です。早い段階から行政などの助けを借り、相談するべきだと心の底から思います。

「誰にだって起こりうる」認知症は共存すべき存在

── ハリーさんは「認知症と向き合う」という表現をされています。とても印象的ですが、なぜこの言い方をしているのでしょうか?

 

ハリーさん:僕のこだわりです。「認知症になる」というと、当事者の方のすべてが「認知症という存在」に変わり、人格も別人になってしまう、ネガティブなイメージがある気がしています。でも「認知症と向き合う」と言えば、当事者の方は変わらずに存在し、認知症と接しているイメージになるのではないでしょうか。僕自身も、大切な人たちも、いずれ認知症と診断されるかもしれない。そのときに「認知症と向き合う」という表現をしたほうがショックはやわらぐし、当事者の方の尊厳も大切にされるのではないかと感じます。

 

とはいえ、いまだに「認知症=人生が終わる」「24時間支援を受けないと生きていけない」と考えている人は少なくないかもしれません。でも、父を見ていて認知症と向き合うようになっても、人生は続くし、生きがいだって得られると思うようになりました。実際、サポートは必要かもしれないけれど、人によっては仕事を続ける人もいらっしゃいます。僕は人生のたそがれどきに、認知症と向き合うときが訪れるのはごく自然のことだと考えているんです。だから、認知症という病を「忌むべきもの」とするのではなく、「共存するもの」と、社会全体でイメージを変えていけたらと思っています。そのために、僕は自分の経験を自分の言葉で伝えていきたいと考えています。

 

PROFILE ハリー杉山さん

はりー・すぎやま。タレント。2008年スペースシャワーTVのMCとして芸能活動をスタート。 日本語、英語、中国語、フランス語の4か国語を操る卓越した語学力を持ち、 2011年よりJ-WAVEのナビゲーター、2012年よりCX「ノンストップ!」等、司会、リポーター、モデル、俳優などマルチに活躍中。2012年にイギリス人ジャーナリストの父がパーキンソン病、認知症と診断された。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/ハリー杉山