90年代からオカルト作家・研究家として活躍してきた山口敏太郎さん(58)。長きにわたる不妊治療を断念し、2021年に代理母出産を選択する決断をしました。ウクライナで生まれた長男・太郎くんはもうすぐ3歳。太郎くんを授かった当時の状況をお伺いしました。(全3回中の1回)

「代理母出産」を公表後はネットで叩かれるも

山口敏太郎さんと息子の太郎くん
山口敏太郎さんと太郎くんの近影

── 太郎くんは、すっかりお兄ちゃんの顔になりましたね。

 

山口さん:今2歳10か月で、来年の1月3日で3歳になります。ぼくが好きな坂本龍馬の誕生日は旧暦では11月15日ですが、新暦に直すと1月3日で、息子と同じなんです。うれしいですね。非常に元気で活発な子です。

 

── 山口さんはオカルト作家・研究家として90年代から活動されていて、その界隈ではカリスマ的な存在です。影響力も大きいと思いますが、太郎くんが生まれた経緯をYouTubeなどで早くから公表したのはどんな思いからですか?

 

山口さん:最初から公表しようと思っていました。日本では代理母出産は認められていませんが、アメリカやロシアではめずらしいことではないし、これの何が悪いのかと。世の中には、5人も6人も子どもがいる人がいる。でも、どんなにほしくても恵まれない人もいる。子どもに恵まれている人から「夫婦だけの生活も楽しいじゃない」「お金が残っていいじゃない」なんて慰めを言われても、そうじゃないんだよと思っていました。

 

簡単に子どもを授かった人に、この寂しさはきっとわからない。自分が頑張って作った財産だって、自分の子どもに委ねたいじゃないですか。太郎のことを公表したあと、ネット上でずいぶんと叩かれました。人身売買だとまで言う人もいましたが、すべて受けて立とうと思っていました。でも、そういう人に「挑んでこいよ」という態度を見せると、ことごとく逃げていきましたが。

長い不妊治療後にがんを患った妻は子宮と卵巣を失い

── 山口さんご夫妻は、長いあいだ不妊治療をされていたそうですね。

 

山口さん:30年前に結婚してから、ずっと子どもがほしかったんですが、なかなか恵まれませんでした。10年以上、不妊にいいとされる鍼や漢方などを試しましたがかんばしくなく、カミさんにはいろいろ苦労させました。不妊治療の権威と言われる病院にも通いました。長年の治療はカミさんの体に負担を与えていたようで、6年ほど前にがんが見つかりました。悲しかったです。それから3年間、がんと闘う日々が続きました。

 

さいわい治療は成功して命を永らえることができました。でも子宮と卵巣を摘出してしまった。その時点でぼくら夫婦の不妊治療の道は絶たれました。ならば養子をもらおうと思い児童養護施設に電話しましたが、当時すでにぼくは50歳を超えていたので、定年に近い年齢では無理だと言われて。「ぼくはサラリーマンじゃないので、定年退職はありません。死ぬまで妻と子どもに不自由な思いはさせません」と伝えても「ルールだからダメです」の一点張りでした。

 

「不妊治療も養子縁組の道も絶たれ、最終手段が代理母だった」と話す山口さん

── それは、おつらかったですね…。

 

山口さん:これからどうしたらいいのかと悩みました。そんなとき「代理母」という言葉が頭をよぎった。残された方法は代理母出産しかないと思い、カミさんに打ち明けたら「3年間、がんの再発がなかったら考える」と言われました。