人気講談師の七代目一龍斎貞鏡さんは、4児の母として育児と仕事の両立をしています。妊娠報告に思わず悔し涙を流した経験を語ってくれました。(全3回中の1回)

20歳の夏に、父の講談にひと目惚れして

── 講談師になるきっかけはなんでしたか。

 

貞鏡さん:講談の世界は世襲制ではないので、これまで子どもが跡を継いで来たという方はほとんどいらっしゃらなかったのですが、父の講談にひと目惚れをした日に私の人生が決まりました。

 

一龍斎貞鏡さん
「凛とした姿が美しい!」昨年10月の真打昇進の際にごひいきのお客さまからいただいた黒紋付を身に纏った七代目一龍斎貞鏡さん(撮影/橘蓮二)

講談の舞台のことを高座というのですが、国立演芸場で行われていた父の高座に初めて足を運んだことがきっかけです。20歳の夏でした。普段の父のイメージは、家でのパジャマ姿や、競馬や麻雀をしている姿だったんですが、黒紋付を着て何百人ものお客さまの前で、笑わせたり、怖がらせたり。ときに感動をもさせる父の姿を見たときに、「格好いい!絶対に父ちゃんの跡継ぎになる!」と決めました。

 

── 20歳で初めて父親の仕事する姿を見たんですね。

 

貞鏡さん:父は恥ずかしがり屋だったので「やりづらいから俺の高座には来るな」とよく言っていました。講談は、ご来場くださったお客さまの顔色を見ながらお話を申し上げるので、普段のお客席は明るいままなんです。その日はたまたま怪談話で、お客席を薄暗くしていたので、私がいることもいいあんばいにわからなかったようです。

 

── 講談師になりたいという思いをどのように伝えたのですか。

 

貞鏡さん:打ち上げから帰ってきた父を待って、その日のうちに「私、講談師になりたい。どうやってなったらいいの」と伝えました。父は驚いて「何言ってんだよ。お前、なれっこないよ」と。「今までも、ピアノに英語に、水泳に、男だって全然続かない。飽きっぽいんだからダメだ」との一点張りでした。その後も父に、この道に進みたいという思いを伝え続けて、「ダメだ」というやり取りがしばらく続きました。

 

── その後、どうされたんですか。

 

貞鏡さん:翌年の12月、そこから1年5か月後に、父から急に「着物に着替えろ」と言われて後をついて行ったのが人間国宝の六代目一龍斎貞水先生のご自宅でした。父は先生に「こいつ、娘なんですが、講談師になりたいと言っていて。先生よろしいですか」と。先生は「もちろんだ」とおっしゃってくださいました。そのとき初めて、「本当に私、講談師になるんだ…!」という嬉しさと同時に、後戻りはできないんだという恐怖も芽生えました。