講談師は「女だからできねぇよ」
── お父さんは、女性が講談師になることに反対していたそうですね。
貞鏡さん:今でこそ女性の講談師が過半数を占めていますが、それまで女性の講談師はほとんどいらっしゃらなくて。いらしても辞めてしまったり、続かなかったりした方が多いそうです。祖父の時代には「女が講談をできるはずがない、講談の世界に入門してもどうせ結婚して辞めてしまう、腰掛けだ」と言われたことがあるという方の話も聞きました。父の時代にもまだその風潮は根強く残っていまして、父も女性が講談師になることには反対でした。
女性の入門希望者が父のところに何人も来ていたのですが、「女だからできねぇよ」と断っていたんです。ところがそんな父のもとに16年前、娘の私がひょっこり入門したことで「今までと言っていることが違うじゃないか」と周りから言われたことも今では笑い話になっていますけど、講談の世界は女性の先輩方のお力もあり、この30年でガラッと変わりました。
── 女性であることで、苦労した経験はありますか。
貞鏡さん:講談の世界には見習い、前座、二ツ目、真打という身分階級があり、見習いと前座修業中は、先生方が高座に集中していただけるよう楽屋で身の回りのお手伝いをさせていただきます。大御所の先生の世代は男性が多いので、われわれ下っ端の若い女性が着物に着替えようとしたときに、「タバコ吸ってくる」とか「飲み物買ってくる」とおっしゃって、先生が楽屋を出ていかれたことがありました。相手が女性だからと先生方に気をつかわせてしまうこと、動いていただいてしまうことは心苦しく、そこで自分が存在を消してトイレの中やカーテンの後ろでササッと着替えるなどして、前座のころは3分で着物に着替える術を身につけました。
── 4人のお子さんを出産されていますが、産休に入る際や復帰はスムーズでしたか。
貞鏡さん:どの仕事をされている方もそうだと思うのですが、子どもは授かり物と言われるだけあって、いつ授かれるかわかりません。でも、私たちの世界では1年先の予定が入っていることもありますので、妊娠によってその予定を動かしていただかなくてはならなくなります。
今ではそうしたことも考慮し、公演日の半年前に正式にご依頼をお約束するようにしているのですが、今から7年前に長男を妊娠した際に、「このたび妊娠いたしまして、4月が出産予定となりました。3月の予定をせっかく押さえいただいていたのですが…大変申し訳ございません」とお断りを入れたんです。そのとき関係者の方から言われたのが、「は?何やっているんですか?」「困りますね。復帰するつもりはあるんですか、もう戻ってこられないんでしょう」という言葉でした。
妊娠報告のたびに「悔し泣き」
── 貞鏡さんの人気あってこその反応でしょうけど、妊娠の際に「おめでとう」と声をかけていただけないのは悲しいですね…。
貞鏡さん:お仕事先の方にご迷惑をかけてしまうのも事実ですし、さまざまな状況の方がいらっしゃいます。ご迷惑をかけてしまったということは心よりお詫びし、あとは私にできることを考え、お腹の子の命を守り、家族を守り、産前よりパワーアップして高座に復帰することしかない。こう腹に決めました。
4人目の妊娠の際も「何やってるんだ」「子ども4人も産んで仕事なんて絶対できるはずがない」「諦めろ」というお言葉もいただきましたが、そのつど「無理かもしれませんが精進いたします」と笑顔で返し、あとで高座で笑い話に変えてネタにして昇華しています(笑)。妊娠報告をして責められるというこのような風潮を少しでも変えていかないと、仕事をしながら子どもを産み育てたい方は増えませんよね。
── 人前に立つこともそうですが、ライトが当たっていない部分でも強いメンタルが必要とされますね。
貞鏡さん:私は今でも小心者で、講談師になるまでは人前で話をするなんてもってのほかでした。あがり症で、学芸会ではなるべく目立たないように、後ろに立っている木ですとか、セリフがない役を選んでいましたし、こんな私が父の跡を継ぐとは誰も思っていなかったと思います。実は今でも毎回、高座の前は心臓がバクバクして吐きそうなくらい緊張しています。
修業中、先輩から「あなたは気が利かないし、不器用。あなたの後輩にはできてあなたにできないってことは、この世界に向いていないから早く辞めてしまいなさい」「この世界にいても、売れっ子ない」と言われることもありました。言葉の力というものは大きく、そのたびにメソメソして、「やっぱり私は何をやってもダメなんだ」と何度も何度も落ち込みました。
── 舞台に立つ姿からはそんなことを微塵も感じさせないのですが、貞鏡さんの支えとなっているものはなんですか。
貞鏡さん:応援してくださるたくさんのお客さまの笑顔、お声、出演のお声をかけてくださる会を主催の方、親身になって支えてくださる芸人の先輩後輩、そしてやはり、父の存在が大きいです。父は仕事で忙しく、平日の日中はお稽古や高座、土日は地方での高座と、小さいころはほとんど関わる時間がなかったので、父がどんな人なのかあまり知らずに育ってきました。この世界に入って初めて、父親でもあり師匠でもある父と、しっかり向き合えたように思います。
父は一挙手一投足を教えるのではなく、俺の背中を見て覚えろという気質でした。絶対に嫌なことは「嫌だ。ダメだ」とはっきり言いますが、普段は事細かに言わず寡黙の人で、注意されるということもほとんどなく、「その調子でいいんじゃないか」というふうに加点方式で見てくれていたように思います。
私の高座を聞いて「あの言い方は、俺はちょっと好きじゃないな」とたまに言われることはありました。「ダメだ、やるな」というのではなく、「俺は好きじゃない」と、ぼそっというのが父の言い方で。そんな父を3年前に亡くしましたが、周りからなんと言われようと、父の格好いい姿を私が必ず継ぐという強い気持ちがあったので、この世界に踏みとどまって踏ん張り続けてこられていると思います。
PROFILE 一龍斎貞鏡さん
いちりゅうさい・ていきょう。実父に講談師八代目一龍斎貞山、祖父に七代目一龍斎貞山、義祖父に六代目神田伯龍を持ち、世襲制ではない講談界に於いて初の三代続いての講談師。連続物などの古典演目の他、ピアノを弾きながら講談を読むピアノ講談、子ども向けの紙芝居講談など新たな挑戦も行う。現在、4児の母として芸道と子育ての両立に適進中。
取材・文/内橋明日香 撮影(サムネイル)/ヤナガワゴーッ! 写真提供/一龍斎貞鏡