東大からマッキンゼーを経てお笑い芸人になった石井てる美さん。経歴だけ見ればインテリ芸人の装いかと思いきや、本人には「バカバカしいことをして人を笑わせたい」という思いがありました。(全3回中の3回)

お笑いの舞台なのにプレゼン口調で話してしまい

石井てる美さんと平野ノラさん
大親友の平野ノラさんと

── 大手コンサルティング会社のマッキンゼーを辞めてお笑いの道へと踏み出す、勇気ある決断をしました。でも、芸人として手ごたえがなかなか得られず、苦しい時代を経験されたそうですね。

 

石井さん:ワタナベエンターテインメントのお笑い養成所で1年間学びましたが、卒業時の事務所所属オーディションで不合格になってしまったんです。養成所を卒業したからといって全員がそのまま事務所に所属できるわけではなく、入れるのは1~2割。私は、ただの「自称ひょうきん野郎」でしかなく、お笑い芸人としてはまだカタチになっていなかったんです。当時を振り返ると、舞台で自分をさらけ出せていませんでした。

 

── 何かがストッパーになっていたのでしょうか?

 

石井さん:人前に立つと、この世界にくる前に社会人として働いていたときのような「よそいきの自分」のスイッチが入ってしまい、舞台でなかなかはじけられなかったんです。当時、フリップネタをやっていたのですが、「え~、では、いまから始めさせていただきます」と、まるでプレゼンでもするかのような堅苦しさでした。舞台上でお客さんの目が見られないし、自分の殻を破ることができませんでした。

 

── 殻を破れなかったのは、ご自分としてはなぜだと思われますか?

 

石井さん:当時はまだ、「お笑いのネタってこんな感じだよね」と、一生懸命それらしく振る舞っていただけで、自分の内側から湧き出てくるものを表現するだけのスキルが伴っていなかったんです。だから、気持ちものっかっていないし、何も伝わらない。友だちを笑わせるときのままの自分でステージに立てばいいのに、当初はそれができませんでした。

 

単独ライブでの石井てる美さん
2024年2月の初単独ライブで「バキューム・カー」というネタを披露しているシーン

自分らしさを発揮したネタを作りたいけれど、どうやって表現すればいいのかわからない。やりたいことがあるのにカタチにできないもどかしさで、悶々とした時期が4~5年ほど続き、出口の見えないトンネルをさまよい歩く感じでした。過度なプレッシャーから心身に不調をきたして、会社を辞めたマッキンゼー時代よりつらかったかもしれません。

 

仕事がないからバイトをしながらの下積み生活。周りからは、「東大卒」「マッキンゼー出身」をウリにして、インテリ芸人や知識人枠のタレントを目指せばいいじゃない?と、さんざん言われましたが、「いや、そういうわけじゃないんだよな…」と思っていました。

売れない時代に支え合った平野ノラの存在

──「そういうわけじゃない」というのは…?

 

石井さん:実際、「東大卒マッキンゼー出身の女芸人」として雑誌に取り上げられたり、クイズ番組に出演させていただき、それがきっかけで今の事務所に所属することができました。ですが、私自身は自分の経歴を前面に出したかったわけではないんです。高学歴の芸人さんは、すでにたくさんいらっしゃいますし、社会情勢や時事問題についてなにかを語れるほどの知識もない。文化人枠として突出したものがあるわけでは決してないことは自分が一番よくわかっていました。

 

それに、やっぱり笑わせることが好きで芸人になったので、お笑いで勝負したい思いがありました。バカバカしいことをして、みんなを笑わせたい気持ちが強かったんです。でも、当時のマネージャーはすごく厳しく、へこむこともあって…。なにもできない自分がふがいなくて、本当に苦しかったですね。

 

── つらい時期に、支えになったものはありましたか?

 

石井さん:同じ事務所の芸人仲間に大親友の平野ノラちゃんがいるのですが、彼女も下積み時代が長くて、毎日連絡をとりあっていました。「オーディションであのネタをやったけれど、こんなこと言われちゃった」とか「いつかギャフンと言わせてやろう!」と、お互いに励まし合っていましたね。ノラちゃんは養成所の2期下なのですが、事務所に所属したのは同じ時期。私にとって、この世界で初めてできた、心から腹を割って話せる友だちでした。彼女がいなかったら、いまごろ芸人をあきらめていたかも。それくらい大きな存在でしたね。

 

そのうち、ノラちゃんがバブルのネタでブレイクして、私もヒラリー・クリントンのものまねで取り上げてもらえるように。2016年に大統領選挙でヒラリーが落選し、「このままネタをやり続けていいのかな」と悩んでいたら、「やめないで、ガンガンやりなさいよ」と励ましてくれて、心強かったですね。

 

養成所卒業ライブでの石井てる美さん
2010年秋、養成所卒業ライブで一人コントを披露

── 長いトンネルから抜け出せたのは、なにがきっかけだったのでしょうか?

 

石井さん:2013年ぐらいに、足が短くずんぐりむっくりなオモシロ体型を活かして、K-POPの「少女時代」のパロディで「短足時代」というネタをやったんですね。そこで初めて、事務所のお笑いライブで優勝できて、周りからも「本当はこういうことをやりたい人だったんだね」とわかってもらえるように。そこから少しずつ流れが変わっていきました。