芸人として、最近ではランジェリーモデルとしても活躍の幅を広げる、駆け抜けて軽トラの餅田コシヒカリさん。高校時代、蛇行型円形脱毛症に悩まされた過去があります。しかも、人気番組の出演を機にテレビで注目されると、2回目の脱毛が始まって──。(全2回中の1回)

「おい、髪の毛どうした!大丈夫か?」

餅田コシヒカリ

── 高校生のときに蛇行型円形脱毛症を発症されたそうですね。どういった経緯だったのでしょうか?

 

餅田さん:いつも通っている美容院で、美容師さんから「右側に大きくて丸い脱毛がある」と言われたのがはじめです。私の地元は宮城なんですが、当時は東日本大震災の直後で。実家は被害にあわなかったものの、友だちの家が流されてしまったり、なかには亡くなってしまった子もいて。震災のストレスだろうと、あまり気にしていなかったんです。でも次第にどんどん脱毛が広がっていって、右側の耳周りの毛がほとんどなくなってしまって親に相談しました。大学病院で受診すると「蛇行型円形脱毛症」と診断。そもそも「脱毛」という言葉を聞いたことがなかったし、ショックというより戸惑い。「え…?何が起きてるんだろう?」って不思議な感じでしたね。

 

── 学校生活の影響はありましたか?

 

餅田さん:特にはなかったかな。普通に楽しく生活していたし、周りにもしばらく言ってなかったんですよね。でも、治療のために1週間程度、入院する機会があって、部活の仲のいい友だち数人に説明するとびっくりされましたが、同時に励ましてもくれました。そのほかの人たちには「風邪をこじらせちゃった」と説明。退院後は、治療の影響でかなり髪の毛が抜けてしまったので、しばらくウィッグを着けていましたが、途中から髪の毛が生えてきて短髪でも過ごせるようになりました。

 

── 1回目の治療は高校時代にいったん終わったとのこと。高校卒業後、芸人となり2017年「駆け抜けて軽トラ」として活動をスタートします。順調にお仕事が増えていくなか、相方の小野島さんが2回目の脱毛を見つけてくれたそうですね。

 

小野島さん:稽古をしようと思ってエレベーターを待っているときに、餅田さんの頭の右側に何かあるぞと。十円程度の綺麗な肌の色がよく見えていたので「おい、どうした!大丈夫か?」って。高校時代の脱毛のことも知らなかったし、コンビを組んだころは生えていたのでびっくりして。

 

餅田さん:小野島さんに言われて気づきました。前回もそうですが、自分では見えにくいし、人に言われて知る人も多いみたいですが、また来たかって。1回目のときに完治する人もいるけど、5年ごととか、決まったスパンで繰り返す人も多いと聞いていたので。もしかしたら、また治療かぁ…と。1回目のときは親元にいたので治療方針も親にすべて頼りきっていましたが、2回目は上京していたので自分でいろいろ調べました。