デビュー20周年を機に、2025年からの活動休止を発表した演歌歌手の森山愛子さん。ブランチリポーターとしての活躍や、憧れの先輩・坂本冬美さんとのエピソードなどを振り返っていただきました。(全2回中の2回)
「私は演歌歌手なのに…」という葛藤も
── 2004年に演歌歌手としてデビュー後、お仕事は順調でしたか?
森山さん:2004年の年末に「第37回日本有線大賞」新人賞、「第46回日本レコード大賞」新人賞を受賞しました。演歌歌手のお仕事をしながら、デビュー翌年の2005年にはTBSの『王様のブランチ』のオーディションに合格して、ブランチリポーターのお仕事もすることになったんです。演歌歌手とリポーターはまったく異なる仕事のため、最初は「私は演歌歌手なのに…」という戸惑いが正直ありました。演歌歌手としての仕事もまだ1年しかやっていないのに、ほかの仕事をするのは中途半端なのではと悩んだりもしましたね。
── リポーターのお仕事はどうでしたか?
森山さん:歌手の仕事とは勝手や立場がまったく違いました。歌手の仕事は自分が舞台に立って歌ういわば主役で、周りの人たちに準備してもらうことが多く、取材で話を聞かれて答える側です。でもリポーターは自分が相手から話を聞き出さなくてはいけない。台本に書いてあること以外のことを質問しないと間が持たないので、前もって取材相手のことをしっかりと下調べをして質問を考えておく必要があります。
リポートする対象も人以外に、食事、物、場所などさまざま。ライブなので状況に合わせて臨機応変に質問を投げかけたり、感想を話す必要があります。でも、あまり話してくれないゲストに遭遇することもありますし、一筋縄ではなかなかいかない。しばしばディレクターの方に「沈黙の時間を作ってはダメ」「どうしてもっと掘り下げて聞かなかったの?」と怒られていました。怒られるたびに「辞めたい!投げ出したい!早く卒業したい!」と思ったこともしょっちゅうでした。
── でも6年10か月も続けられたんですね。
森山さん:怒られることも多かったですが、すごく勉強にもなったと思います。「私は演歌歌手なのに…」という葛藤もありましたが、いろいろなことをリポートして表現することは、歌の表現の幅を広げることにも繋がりました。演歌歌手という本業の存在も大きかったと思います。リポーターでうまくいかなくても「私には歌があるんだ」と思って乗り越えてきました。
当時、ブランチのリポーターは、みなさん、タレントだったり、歌手だったり、女優だったり、別の世界でも頑張ろうと思っている人たちばかりだったので、お互いに支え合って、刺激し合って頑張れた、というのもあります。卒業が決まったときもすごく寂しくて、「ファミリー」と呼べる存在だったと気づきました。卒業後も、ブランチリポーターの経験を活かして栃木や福島のテレビ番組のリポーターなどもやらせてもらいましたし、今となっては本当にやってよかったと思っています。
20年を節目に新しい自分に挑戦
── 演歌歌手として20年の道を歩まれてきました。演歌の世界で憧れの先輩がいらっしゃるそうですね。
森山さん:同じ事務所の先輩ですが、冬美さんは小さいころから憧れの方です。いつも冬美さんの曲を歌っていました。初めて会ったのはデビューが決まって事務所に所属したときです。冬美さんの公演に行き、楽屋で挨拶をさせてもらいました。19歳のころでしたが、のど自慢の生放送で歌ったのを超えて、人生で一番緊張したと思います。のれんの向こう側から出てきた冬美さんは顔が小さく美しくて…。おそらく挨拶くらいしかできなかったと思うのですが、緊張しすぎて記憶がないですね(笑)。
歌い手としてはもちろんですが、人間としても見習いたいところだらけの素敵な方。気配りや所作、ひとりずつと向き合う姿勢など、私にとってずっと憧れの人です。冬美さんのライブは若い人から年配の方まで幅広いファン層がいて、そんなところも魅力的だなと感じます。
── 来年から活動を休止されますが、坂本さんにも相談したり、アドバイスをいただいたのでしょうか?
森山さん:それはしていません。活動休止についてはひとりで決めました。ずっと応援してくれていた母にも言いませんでした。活動休止については5月のライブでファンの方にお伝えしたのですが、母が知ったのもそのときでした。観客として来てくれていて、きっと聞いたときは客席でびっくりしたんじゃないかな…。「私が決めたことなら」と応援してくれていますが、多分すごくショックを受けたのかなと。本当は演歌歌手を続けてほしかったのかもと思っています。ファンの方々は驚いてはいましたが、最後には受け入れてくれましたね。「愛ちゃんが決めたことならば」「愛ちゃんが私の人生の推し活の最終章」と言ってくださるファンの方もいて、本当にありがたいというか申し訳ないというか…。
活動休止については、去年くらいからなんとなく考えていました。20年という節目で一度立ち止まって自分を振り返ってみたいなと。ほかにも自分にできることがあるのか、試してみたいと思うようになりました。とはいえ、まだなにも予定はないんですけどね。芸能以外の仕事も含め、自分に何ができるかわかりませんが、未知の世界にいまはちょっとワクワクした気持ちがあります。
── 20年間の歌手生活はどうでしたか?
森山さん:あっという間でしたが、20年も続けてこられたのは本当にありがたいことだと思っています。歌手だけでなくリポーターとしてもたくさんの出会いがあり、それは地元で普通に就職をしていたらできない経験ばかりでした。また戻ってきますとは言えませんが、私や曲のことをたまにはみなさんに思い出してもらえたらうれしいです。
PROFILE 森山愛子さん
もりやま・あいこ。1985年、栃木県生まれ。2004年に『おんな節』で演歌歌手としてデビュー。同年に『第37回日本有線大賞』新人賞、および『第46回日本レコード大賞』新人賞を受賞。芸名の名付け親はアントニオ猪木さん。ホームヘルパー1級(現・訪問介護員1級養成課程)、卒業後に介護福祉士の資格を持つ。
取材・文/酒井明子 写真提供/森山愛子