「未練はあったけど」バドミントン引退を決め
── そして2011年に結婚されました。
智美さん:その頃、私は肩と膝の怪我をして、自分が目指すプレーができない状態でした。「頑張ろう」「いや、きついかも」「頑張ろう」と日々、気持ちは揺れ動いていましたね。そんなとき主人が日本人で初めてスーパーラグビーに挑戦することになったんです。「一緒に来てくれないよね?」と言われ、最初は迷っていたんですが、主人にとっては大きな挑戦でもあったのでそばで支えたい気持ちも強かった。バドミントンに未練がないわけではなかったけれど、けじめをつけてニュージーランドについて行って支えたいという気持ちが固まったんです。私のぶんも主人に託そうって。
── ニュージーランドでの初めての海外生活。戸惑いもあったのでは?
智美さん:食や文化の違いに戸惑うことはありましたけど、それ以上に夫婦の絆がすごく深まったと思います。主人は結構シャイで引っ込み思案。私は誰とでも人見知りなく話せるタイプなんですが、休みの日は主人を外によく連れ出して大自然の中をドライブしたり、一緒にトレーニングしたり、すごく楽しい時間を過ごせましたね。
── 現役中は、田中史朗さんは、智美さん、お子さんと遠距離生活だったそうですね。ひとりで大変なこともあったのではないでしょうか。
智美さん:主人とは毎日欠かさずテレビ電話でコミュニケーションをとっていたので、私や子どもたちは離れているという感覚も、寂しさも感じずに生活できていました。ただ、私は毎日、子どもたちと一緒にいたので距離が近く、言い方が少しきつくなったり、熱くなってしまうところがあって、そんなときは主人に注意されましたね。「ひとりのさみしさを感じてごらん」「逆の立場で考えてごらん」って。子どもたちと3人で一緒にいられるのはすごく幸せなことなんだよと諭されることもありました。
── 日常生活で感じるストレスはどのように解消されていたんですか。
智美さん:子どもたちの寝顔を見ると自然とリセットされてました。主人が頑張っていることもわかっていたからこそ、“イライラしてちゃダメだな”と反省したり。主人がよく「人生は1度きりなので、嫌な時間よりもいい時間が長い方がいい」と言っているんですが、それを子どもたちにも伝えて、「大変だけど、楽しい時間を3人でも作ろうね。パパが帰ってきたらもっと楽しくなるから」と3人での生活を楽しんでいました。
パパとしては90点「家族の考え方の幅が広すぎて(笑)」
── ご主人に点数をつけるとすると何点あげられるでしょうか?
智美さん:90点かな。ほめるときはほめますし、ここは正さないといけないというときは、子どもと目線を合わせながら、わかりやすいように、受け入れやすいようにわかりやすく話をしてくれているいいパパなので。
── あと10点は?
智美さん:本当に人に尽くしすぎるくらい尽くす人なんですよ。極端にいうと、世界中のみんなが幸せになって欲しいと本気で思っている人で…。もちろん、それは素晴らしい考え方なんですけど、“みんなファミリー”というのはちょっと違うのかなと。家族の考え方の幅がちょっと広すぎて、ときどきちょっと困ります(笑)。
── ご主人と2人の間で決めているルールはありますか?
智美さん:夫婦ゲンカをしたら、どんなときもすぐ仲直りしようと話をしていて、そのときに「幸せに…」「…なるために」という言葉を掛け合っています。私は納得したときや悪かったなと思うときは自分から言うんですけど、主人から言うことが多くて。私が納得せずにそれをスルーしていても、何度も「幸せに…」と繰り返されます(笑)。仲直りしてからの話し合う空気づくりはうまいですね。空気の読み方はすごくうまいんですが、スクラムハーフだから全体を見渡すのが上手いのかもしれません(笑)。
PROFILE 田中智美さん
たなか・ともみ。バドミントン選手として三洋電機やヨネックスでプレーし、怪我の影響により引退。2011年にラグビー元日本代表・田中史朗さんと結婚。現在は二児の母としてバドミントン界に戻り、ミズノアドバイザリースタッフとしてイベントや講習会なども行っている。
取材・文/石井宏美 写真提供/スタービューエージェンシー