「病名がわかったのは生まれてから1週間たったころでした」。そう話すのは、スキー選手として活躍をした森幸さん。しかし、命の危機と隣り合わせの病気を患う娘は、スクスクと強く育っていったそうです。(全3回中の2回)

酸素飽和度測定機を見つめ祈った日々

── 森さんはご自身と同じ、スキーヤーの森信之さんと2005年に結婚。3年後に第一子となる未瑠加(みるか)さんを出産されました。未瑠加さんは産後すぐに大学病院に搬送され、最初は心臓病を疑われたものの、その後、肺高血圧症だと診断されたそうですね。

 

森さん:はい。病名がわかったのは、生まれてから1週間ほど経ったころです。肺高血圧症は、肺の血管が狭くなっているために血管内の血圧が上がり、心臓に負担がかかることで、全身に酸素が送られにくくなる病気。その結果、少しの運動で息苦しさを感じたり、場合によっては失神したりすることもあるそうです。娘が生まれたとき、発症原因は不明でした。生まれつきこの病気にかかることは本当にまれ。そのため、医師からも「おそらく肺高血圧症だろう」と、そして「余命5年」とも言われました。

 

森幸

── 未瑠加さんが退院されたときのお気持ちはどうでしたか?

 

森さん:怖かったです。「何かあったらどうしよう」って。酸素飽和度測定器という機械で血中の酸素濃度を測るのが日課なのですが、数値が下がると「ピピピピッ」と大きな音が鳴るんです。いつも「この音がなりませんように」と祈っていました。でも、私の心配とはうらはらに、娘はすくすく育っていきました。言葉を覚えるのが早くて、私が何げなく言った言葉をとても上手にマネするようになったので、それ以降はきちんとした正しい日本語を使わなくてはいけないと改心しました。

月1回しか帰宅しないパパを娘が思いやれるように

── ほかにも、ご夫婦で決めた子育てルールはありますか?

 

森さん:「ダメといわない」こと、「意見を一致させる」ことです。あるとき、テレビで「親は子どもに1日何百回も『ダメ』といっている」というのを見ました。このとき、私も無意識のうちに「これはやっちゃダメ」「触っちゃダメ」と言っているなと気づいたんです。病気の影響でまわりより制限が多い生活をしている娘に、このままだとさらに窮屈な思いをさせるのではないかと思い、夫と話し合い、ダメと言わなくてすむシチュエーションをつくることにしました。

 

── 具体的にはどんなことでしょうか?

 

森さん:触らなくてもすむように、自宅のインテリアの配置を変えたり、リフォームもしました。触ってはいけないものは手の届かない場所に置くようにして、入ってはいけないところには入れないようにしました。「意見を一致させる」というのは、どちらかがよくて、いっぽうがダメとなると、何が正しいのかわからなくて娘を迷わせるだろうと思ったからです。お父さんとお母さんの役割があると思いますので、バランスよく。とくに小さいよきは、私と一緒に過ごす時間が圧倒的に長かったので、私がいなくても夫や両親、仲のいい友人とも過ごせるよう慣らすこともしていました。何らかの理由で、私が家を空けることになっても困らないように。

 

── おっしゃる通りですね。ただ、ご主人は家にいることが少ないとなると、平等というのは難しいのではないでしょうか?

 

森さん:そうですね。実際に、夫は娘の幼少期は単身赴任をしていて、月に1回しか帰宅できませんでした。パパとはなかなか会えないけど、私たちのためにお仕事を頑張ってくれているとわかってほしかったので、新しい洋服やおもちゃを買ったときには、「これはパパが買ってくれたんだよ」といって、「パパ、今日お洋服買ってくれてありがとう」と電話をさせていました。ふだんからパパが近くにいないからこそ、感謝する気持ちを持てる子になってほしいと思っていました。