がむしゃらに働き、次々とやってくる課題に取り組み、時間に忙殺される。こうした状況は会社員でもタレントでも変わりません。人気絶頂のなか、タレント活動の休止に踏みきった浅香唯さん。4年半の休業の中で得たきづきや意味があったといいます。(全5回中の3回)
「このままでいいのかな」23歳で芸能活動を一時休止
── デビューして8年目、23歳のときに芸能活動を一時休止されました。当時の心境を伺えますか?
浅香さん: 15歳でデビューして以来、何も考えず、がむしゃらに突き進んできましたが、人として成長していく過程で、“このままでいいのかな”と、迷いがでてきたのが20歳のころ。“いったん立ちどまって、自分のことを客観的に見てみたい”と思ったんです。ただ、とにかく忙しかったので、立ち止まって考える余裕なんてありませんでした。だから、つい「忙しいからしかたないよね…」と、流されてしまおうとする自分もいて。気持ちがせめぎ合って、自分自身を見失いかけていたんです。
── 自分のなかで、“このままではいけない”という「シグナル」を感じたきっかけがあったのでしょうか。
浅香さん:なにかひとつの出来事というよりも、たくさんのことが積み重なった結果だと思うんです。もともと私の性格的に、何事にも100%かそれ以上の力を出しきらないと気が済まないところがあって。でも、納得するまで取り組むにはどうしても時間がたりず、“ああすればよかった”“もっと頑張れたのでは?”と、後悔してウジウジ考えてしまうことも。そんな小さな“心残り”が、どんどん溜まっていったのもあるのかなと思います。
── 自分の100%を毎回出しきるのは、心身を削るようなものですよね。妥協できない性格も、みずからを追い込んでしまった原因のひとつだったのでしょうか。
浅香さん:そういう部分もあったのでしょうね。
芸能界復帰を決めたのは「アンジャッシュ」のおかげ?
── 休業中は、どんなふうに過ごされていたのですか?
浅香さん:ずっとやりたかった“ふつうの暮らし”を満喫していました。朝起きて日差しをあび、朝ごはんを食べたら昼までおうちのことをする。午後は散歩に行ったり、スーパーでお買い物をしたり。夜はご飯を作って食べ、お風呂にゆっくりつかって、眠くなったらお布団で寝る。小学生のとき以来の時間割を作って、その通りに生活してみたりもしました。ずっと時間に追われる生活をしてきたので、「本能のままに過ごしてみよう」と、目覚ましをかけずにカーテンを閉めきって寝たいだけ寝てみたことも。音楽をやりたい思いはあったので、曲を作ってデモテープをレコード会社に持っていく経験もしました。
── 4年半の休業期間を経て、活動を再開されました。復帰のきっかけはなんだったのでしょうか?
浅香さん:じつは、背中を押してくれたものが2つありました。ひとつは、ファンの存在です。お休みをしている間、一番の気がかりは、ずっと応援してくれていたファンの人たちのことでした。“みんなどうしているかな。もう私のことなんて忘れちゃったかな…”と、ちょっぴり後ろ向きな気持ちになっていたんです。
ところが、お休みして3年ほどたったあるとき、ファンの方々が、「浅香唯新聞」という新聞を作ったり、私の誕生日にはバースデー・パーティーを開いて、みんなでお祝いをしてくれていたことを知ったんです。休業して3年以上たっても、私が戻ってくることを信じて、待ってくれる人たちがいる。思わず胸が熱くなりました。“戻るべき場所”に気づき、復帰する意味が自分のなかで明確になり、迷いが一気に消えたんです。
── 3年以上も推し変をせず、一途に待ち続けてくれるなんて、素敵なファンですね。“浅香唯の居場所”を守っていてくれていた。ファンの熱意が、浅香さんを突き動かしたのですね。
浅香さん:本当に嬉しく、ありがたかったです。もうひとつ、復帰のきっかけになったのが、“お笑い”でした。テレビで、アンジャッシュさんのコントを見て涙が出るほど笑い、ものすごく感動して。気持ちが落ちていた時期だったのですが、ふっと前向きになることができ、「私のなりたい姿はこれだ!」と思ったんです。
── なりたい姿が、お笑い…?
浅香さん:いえ、私がお笑い芸人さんを目指すということじゃなく(笑)、“私もこんなふうに人に感動を与えたり、心を動かすような人間になりたい”と思ったんです。自分の姿が誰かの動き出すきっかけやパワーになる。私もファンの人たちにとって、そういう存在でいたいし、皆の前に立つということはそうでなくてはいけない。それが使命だなと。歌はもちろん、いろんな活動を通じて、人の心を動かせるような存在になりたいという思いが、復帰の大きなモチベーションになりました。
── アンジャッシュのおふたりは、恩人ということになるのでしょうか。
浅香さん:恩人です。じつは復帰後にお会いする機会があって、その気持ちを伝えたんです。でも、本人たちはピンと来ていなかったみたい(笑)。ただ、「自分たちのコントでそんなふうに感じてくれる人がいるんだ、と気づかせてもらいました」と言ってくださって嬉しかったですね。
もし立ち止まっていなかったら「芸能界を引退」していたかも
──「立ち止まること」で、見えたものは大きかったのですね。
浅香さん:本当にそう思います。自分の人生を振り返ったときに、「もしこっちを選んでなかったら、どうなっていたんだろう」と、“たられば”を考えることってあると思うんです。私も立ち止まったことで、失ったものもあったかもしれません。お休みをした20代前半にしかできなかった仕事もあったはずです。ただ、もしも、あのままがむしゃらに突っ走っていたら、きっといまの私はいないと思うんです。それほど“いっぱい、いっぱい”でした。
── もしも立ち止まらなかったら、どうなっていたと思いますか?
浅香さん:もしかしたら、このお仕事を続けていないかもしれませんね。それくらい私のなかでは大きな気づきを得た、人生に必要な時間だったと思っています。
── お仕事との向き合い方も、以前とは変わりましたか?
浅香さん:すごく変わりましたね。以前は、なにをするにしても、私のために動いてくれるスタッフの方がたくさんいて、それが当然だと思っていたんです。でも、“浅香唯”からいったん離れて俯瞰して眺めたことによって、本当にたくさんの人が“浅香唯”をつくりあげるために、力を尽くしてくださっていたと気づきました。ですから、復帰後は関わってくださるすべての方に感謝の気持ちを持つようになり、「ありがとう」を伝える回数が増えたんじゃないかと思います。立ち止まったことで、いろいろと視野が広がりました。
PROFILE 浅香 唯さん
あさか・ゆい。1969年生まれ、宮崎県出身。1984年、ザ・スカウトオーディション「浅香唯賞」を受賞。翌年、シングル『夏少女』で歌手デビュー。86年、フジテレビ系連続TVドラマ『スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇』で主役の三代目麻宮サキを演じ、ブレイク『Believe Again』『C-Girl』『セシル』など多数のヒット曲を持つ。2002年に結婚、2007年に長女を出産。
取材・文/西尾英子 画像提供/ジャム企画