被災地支援のためにショベルカー操縦資格をとったお笑いコンビ・平成ノブシコブシの徳井さん。教習通りにはいかない現場に四苦八苦。命をかけて活動する人たちに囲まれ、ボランティアや人助けについて考えたそうです。(全5回中の4回)
「被災地の力になりたい」何もできない自分に呆然
── 2019年にパワーショベルの資格をとった徳井さん。きっかけは?
徳井さん:先輩たちが被災地支援に行っている姿を見て、僕も何かできないかなと考えたんです。すごいな、と思う反面、僕には何ができるんだろうと。僕から吉村に、ボランティアに行こうとは言いたくなかったし、あいつはものすごく忙しいから多分ムリだろう。コンビが無理ならどうしたらいいのか…とけっこう考えました。ちょうどコンビで行くのが難しかったジュニアさんが、被災地支援のために落語を覚えて、現地で披露したと聞いたんです。ジュニアさんは才能があるから落語ができるけど、僕はできない。そうだ、学生時代バンド組んでたし、音楽をやればいい!と思いつきました。
── 笑いではなく、音楽を!
徳井さん:そう。さっそく曲を作りました。でも、自分で作った曲が覚えられない(笑)。コードは覚えられるんですけど、メロディーが覚えられないんです。翌日思い出そうとしても「どっちだっけ?」って感じで、これが5分間続くなんて…ムリ。僕は結局、何もできないんだと思いました。
そんなとき、テレビを見ていて、ボランティアとして被災地でパワーショベルを使って活動する人たちがいることを知ったんです。たしかに世界各地どんな災害でも、パワーショベルは必要。いまから始めて下手くそでも、現地に行ってできることをして、おじさんたちと酒を飲んで話を聞きながら、ちょっとぐらいは元気づけられるかもしれないと思いました。
パワーショベルの資格をとるも経験不足「奥多摩で練習の日々」
── 重機は復興に不可欠ですものね。資格をとるのは大変でしたか?
徳井さん:5日間38時間の講習を受ければ、資格はとれます。でも、集合時間に1分でも遅れるとアウトで、そこは厳しかったです。資格をとって操縦方法は身につけましたが、めっちゃペーパーなので現場で働いている人に比べたら、鼻くそみたいなものです。現場での経験が不足しているから、ボランティアグループの練習に、1か月間くらい参加させてもらいました。奥多摩に山を持っているグループに参加して、そこを自由に掘ったり切り崩したりして、いろんな年代の人に混じって、とにかくショベルカーを動かしました。
でも、実際に人を助けなければいけない状況で、毎日、山や川を掘らないとレベルはあがりません。単に道路を走るのとは違って、どこに穴が空いてるかわからないし、判断や操縦を誤れば、相手も自分も命の危険があるわけですよ。習った通りにやっているだけでは務まらない部分がほとんどです。最初に被災地ボランティアに行ったのは愛媛県の西予市というところでしたが、もう技術が追いつかなくて…。
被災地で知った「ボランティアはぬるい気持ちではやれない」
── 重機を動かすとなると、かなり責任の重いボランティアになりますよね。
徳井さん:はい。仕事のスケジュールもなかなか決まらない職種ですし、家に幼児がいる身では、全力投球はできません。何度か被災地に行きましたが、仕事と家のことを気にしながらぬるくやれるものではないので、僕はしばらくは本格的にはできないと思います。これは、実際に体験しないとわからないことでした。僕が行ったボランティア活動は、本当に無給で多くの人が全国から来ていました。命の危険がある活動をして、その間、奥さんは家で子どもと待っている。もしボランティア中にこの人が亡くなったら、家族はどう思うのだろうと、ふと考えてしまいました。みんなどうやって生活してるんだろうとか…。
── 自分の生活も大切ですものね。被災地で印象に残っていることはありますか?
徳井さん:東日本大震災で被害にあった人たちが、たくさんボランティアで来ていたことです。実際に、東日本大震災で大変な思いをした人たちが、自分の人生をかけてでも熊本や能登に行っているケースは多いでしょう。僕がボランティアに行こうという考えより、確固とした思いで来ている気がします。本当に助けられたことのある人こそが、本気で人を助けることができるのだと思います。
PROFILE 徳井健太さん
1980年生まれ、北海道出身、NSC東京校5期生。 2000年に吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」を結成。 テレビ朝日系『楽しく学ぶ!世界動画ニュース』にレギュラー出演中。芸人や番組を愛情たっぷりに考察する事でも注目を集めている。 最近では、幼少期の経験から、「ヤングケアラー」をテーマにした講演会を全国各地で行っている。
取材・文/岡本聡子 写真提供/徳井健太、吉本興業株式会社