「許さんかいね!」あの名セリフは、浅香唯さんが宮崎県出身だったことから生まれたものでした。獣医に憧れていた少女はアイドルと女優の道を選びます。過激なアクションに睡眠を削ってまで青春を費やした『スケバン刑事』秘話です。(全5回中の1回)

「親子の縁を切ってでも行く」飛行機に乗って上京

── デビューのきっかけは、少女コミック主催のオーディションだったそうですね。

 

浅香さん:中学3年生のときに、少女コミックの連載漫画『シューティングスター』のヒロイン「浅香唯」を探すという企画で、“浅香唯賞”をいただき、デビューをしました。

 

とはいえ、もともと芸能界に興味があったわけではなく、じつは獣医さんになりたくて。中学受験を経て、地元の宮崎大学教育学部の附属中学校に通っていたのですが、「浅香唯賞」の賞品だった真っ赤なステレオがどうしても欲しくて(笑)、思い出づくりにと、軽い気持ちで受けたら合格したんです。当初は芸能界に進むつもりはなかったのですが、事務所の方々があまりにも熱心に誘ってくださったので、“それならちょっとやってみようかな”と。

 

── 中学校卒業と同時に、15歳で単身上京。親御さんには反対されませんでしたか?

 

浅香さん:もう大反対でしたよ。私自身、そこまで芸能界に入りたいと思っていたわけではなかったのですが、両親があまりに反対するものだから、意地になってしまって。「親子の縁を切ってでも行く!」と告げ、飛行機に乗って上京しました。

 

── 昭和のアイドルのキャッチフレーズには、印象的なものが多いですが、85年にデビューした浅香さんのキャッチコピーも、「フェニックスから来た少女」と、なかなかインパクトがありました。当時は、謎めいたフレーズに困惑した記憶があります。

 

浅香さん:「フェニックス」は、私の出身地である宮崎県で指定されている“県の木”なんですよ。宮崎のシンボル的な存在ですね。

「訛りをほめられて」三代目・スケバン刑事デビュー

── デビュー翌年に、ドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』で、主役の「三代目麻宮サキ」に抜擢されました。アクションの多い役柄でしたが、見事にハマり役になりましたね。

 

浅香さん:私にとって、皆さんに知っていただくきっかけになったドラマでしたね。デビュー後、いろんなオーディションを受けたのですが、落ち続けていました。お芝居経験もなかったし、宮崎から出てきたばかりで訛りがネックになっていたんです。審査員の方にアクセントを指摘されて初めて、「え、私って訛ってるの!?」と気づいて。だって、それまでは周りもみんな訛っていましたから。

 

そんな私の個性を唯一拾ってくれたのが、『スケバン刑事』でした。オーディションでは、まず最初に「その訛りがいいね!」とほめられたんです。嬉しかったですね。ほかにも、「木登りできますか?」と、それまでのオーディションではなかった質問も。子どものときはおてんば娘で男子と一緒に野山を駆け回って遊んでいて、木登りは大得意。しかも、いろんな場所にどんどん登りたがる子だったので、「できます、得意です!」と即答しました。

 

(C)ジャム企画

── 訛りがあって、木登りが得意な少女。まさに個性が活かせる場だったのですね。

 

浅香さん:『スケバン刑事』の訛りは宮崎弁なのですが、全国放送なのでわかりやすいアクセントとして「九州弁」という設定でした。私が演じた三代目の役では、監督がそれまでの主人公とは違ったキャラクター像を思い描いていたらしく、それが私の個性と一致したんです。だから、私もそのままの自分で演じることができましたね。

 

──『スケバン刑事』は、アクションも激しかったですよね。洞窟が急に爆発したり。

 

浅香さん:アクションを過激にしたいという要望があって、「可能な範囲で本人にやってほしい」と言われたんです。撮影が始まってからは特訓を受けました。体力的にかなりハードな現場でしたが、私にとっては、それ以上に楽しさが勝っていましたね。

 

ただ、スケジュールが本当に厳しく大変でした。私たちが演じた風間三姉妹(大西結花さん、中村由真さん)は忍者の設定だったので、ロケ先が埼玉や多摩の山奥など、洞窟でのシーンが多く、都内からだと移動に時間がかかるんです。朝5時ごろに集合してロケ先に移動し、そこから明け方まで撮影が続くこともしばしば。通常のロケの場合だと、日が沈み始めると撤収することが多いのですが、そこは忍者なので(笑)、日暮れから夜のシーンもたくさんあるんですよ。

「楽屋の待ち時間に」布団で眠った記憶があまりなくて

── 当時は、アイドル全盛期で生放送の歌番組もたくさんありました。ドラマの撮影と並行して、歌番組やCMと、目まぐるしいほどの忙しさで「寝る間もなかった」と明かされていました。

 

浅香さん:つねにスケジュールに追われていましたね。明け方に家に帰っても、30分から長くても1時間くらいしかいられず、そこからすぐに次の現場に出ないといけない。着替えるためだけに帰宅していた感じでした。

 

── 想像を絶するスケジュールですね。いつ寝ていたんですか?

 

浅香さん:帰宅後30分程度、あとは楽屋の待ち時間や移動中など、スキマ時間にちょこちょこと寝ていたけれど、布団で眠った記憶はあまりないかもしれません。当時は若くて体力もあったので、なんとかなっていたんですね。あとは、『スケバン刑事』のロケ中にストライキで撮影が中断することがあって、しばしの仮眠タイムになっていました。

 

── ドラマの撮影中にストライキ、ですか!?

 

浅香さん:あまりに厳しいスケジュールだったので、スタッフさんたちの組合がストを起こして撮影が中断したんです。でも、心の中では、「もしかして…寝られる?」と、喜んでいましたね。「2時間くらいかかりそうだから、いまのうちに寝ておこうか」なんて言いながら、結花や由真と一緒に寝たりしていました。振り返ると、そんな経験もすべて宝物のようなキラキラとした思い出です。

 

PROFILE 浅香 唯さん

あさか・ゆい。1969年生まれ、宮崎県出身。1984年、ザ・スカウトオーディション「浅香唯賞」を受賞。翌年、シングル『夏少女』で歌手デビュー。86年、フジテレビ系連続TVドラマ『スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝奇』で主役の三代目麻宮サキを演じ、ブレイク『Believe Again』『C-Girl』『セシル』など多数のヒット曲を持つ。2002年に結婚、2007年に長女を出産。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/ジャム企画