心にゆとりがないと母も幸せじゃない

── 東京でのふたりでの生活はどうでしたか?

 

岩佐さん:大変だったのは母が急に行方不明になったときです。いわゆる、「徘徊」ですね。自分の家がわからないので、出ていってしまうと帰ってこられないんです。65歳の頃で世間的にはまだまだ元気な世代。ひとりで外を歩いていても不思議に思われることがないので、なかなか見つからないんです。

 

65歳頃に徘徊が始まった

徘徊は3回ほどあり、警察にも捜索をお願いしたのですが、見つけてくれたのはすべてデイサービスの管理者の方でした。不思議なことに、長年の勘が働くのか、警察の方よりも早く見つけてくださいました。見つかったと聞いた瞬間、私は腰が抜けて動けなくなってしまい…。こんなに動けなくなることあるんだと思うくらい、心配でした。

 

── 2023年にお子さんも誕生しましたよね。介護、育児をこなすのは大変なのでは?

 

岩佐さん:産後は自分の体調も万全ではないので本当に大変。母の体位を変えるだけでもひと苦労でした。離乳食と介護食をいっしょにつくるのですが、どっちもトロトロしているので、どっちがどっちかわからなくなったり(笑)。

 

実は子どもが生まれる直前まで、母といっしょに父の介護もしていたんです。父は肝硬変や腎不全を患っていて食事などはヘルパーさんにお願いしていましたが、病院にいっしょに行ったりしていました。亡くなる直前に父から「体がしんどい」と連絡があったのに、私も臨月で体が辛く動けませんでした。母もデイサービスから帰ってくる時間だったので、会いに行かなかったんです。なので、それはとても心残りですね。

 

── 仕事との両立も大変でしたか?

 

岩佐さん:東京で暮らしていた頃、母は深夜に起きてもトイレの場所がわからないんです。なので、そのたびに私も起きてトイレに連れていっていたら、寝不足で仕事がどんどんしんどくなって…。ある日、限界をむかえてしまい、夜中にケアマネージャーさんに「もう無理かも」と連絡したんです。

 

そうしたら「デイサービスだけでなく、週1でもいいから母を泊まりのショートステイに預けたほうがいい」と。介護施設が自宅からあまりにも近く、それなら自宅でいいだろうと、それまでは宿泊は利用していなかったんです。でもケアマネージャーさんから「週1でも遊んだりゆっくり寝たりして、自分の時間をつくってください。心に余裕がないと介護はできないですよ」と言われたんです。

 

── そうすることで変わりましたか?

 

岩佐さん:旅行に行ったり、テーマパークに行って夜までゆっくりできることで、心にゆとりができて、私自身が明るくなりました。同時に、母も明るくなっていくのを見て、「私が幸せじゃないと母も幸せじゃない」と気づきました。たとえば母に同じことを何回も言われると以前はイライラしていたのに、心に余裕があると笑顔で受け止められるようにもなりましたね。

 

介護だけでなく育児などもそうですが、辛いと思ったときは借りられる手があるなら借りたほうがいい。自分の時間をつくって息抜きすることで、イライラせずに相手に接することができる。なるべくみなさんも、自分にご褒美をあげてほしいですね。

 

 

PROFILE 岩佐まりさん

1983年、大阪生まれ。2002年にタレントとしてデビューし、現在はフリーアナウンサー、司会者、リボーターなどとして活躍。2009年に母親が若年性アルツハイマー型認知症を発症し、シングル介護をしている。2023年に出産、1歳児の母。

 

取材・文/酒井明子 写真提供/岩佐まり