時間を切り売りするより、自分がやりたい仕事に挑戦したい
── 息子さんを看病するなかで、起業をしようと考えたきっかけを教えてください。
市原さん:当時は長男が治るという選択肢以外はつらすぎて考えられませんでした。なので、治った後は仕事をしようとポジティブに考えるようにしていたんです。「きっと治るから大丈夫」と。長男の病気は3回繰り返してしまうのですが、1回目の再発をして治った後にフリーランスで少し仕事をしました。フリーランスでできることをする。でも、その働き方だとどうしても自分が今まで得てきたスキルを細切れにしてなんとか繫いでいるような感覚がありました。前に進めなさそうだなと。そんな時に、東日本大震災が起きて、働いていた職場でビルが激しく揺れました。「もう子どもたちと会えないかもしれない」という考えが頭をよぎりました。仕事に生きるのであれば、付加価値を積み上げられるような仕事に挑戦したいと思ったんです。
── どうせ働くなら、やりたい仕事をしようと思ったんですね。
市原さん:とはいっても、会社員を辞めてブランクもあります。加えて長男の病気が治ったとはいっても、経過観察で病院に通わなくてはいけません。そういう状況で、正社員で働くのは難しいなと思ったんです。だったら自分で自分の働く場所をつくったほうがいいんじゃないかと考えるようになりました。ちょうどその時、スマホのアプリが一気に浸透した時期でした。少ない資本でビジネスを拡張させていく方々を見て、これなら自分でも起業できるかもしれないと考えました。そこから、パーソナルスタイリングを軸にしたスマホアプリを作り起業をしました。お客様がお手持ちのお洋服を写真で登録すると、プロのスタイリストがコーディネートのアドバイスを提案するサービスです。
── なぜ、ファッションの分野での起業だったのでしょうか。
市原さん:起業するなら「衣・食・住」の中で誰かの悩みを解決するような事業をやりたいと考えました。子どもにも「お母さんは世の中をちょっと良くする仕事をしてるんだよ」と言えたらいいなと思って。「衣・食・住」の中で「衣」を選んだのは、自分自身、キャリアの節目で洋服に悩んだ経験がたくさんあったからです。
アクセンチュアからルイ・ヴィトン ジャパンに転職した時は、華やかな業界だからこそ着ていく服に困りました。それまで着ていたダークスーツではダメだと。困って先輩に服を選んでもらった経験もあります。また、仕事を辞めた後に数年のブランクを経て、仕事復帰をする時にも「どんな服を着ていけばいいの?」と悩みました。働く女性の「シーンに合う服は何か?」「自分に似合う服はなにか?」「その服はどこで買えるのか?」と悩む気持ちがきっかけとなりました。ファッションの領域でアプリから始めて、最終的にオリジナルブランドを立ち上げました。
── アプリから、オリジナルブランド「ソージュ」につながっていったんですね。
市原さん:モデラートは息子の病気が2度目の再発をして治ったタイミングで立ち上げました。その頃には長男も学校に通い始めていて、次男も小学校に入学をしていました。すごく手がかかる時期はすぎていたので、家族もみんな応援してくれました。2度の再発を乗り越えてきたので、もう大丈夫だろうという気持ちもありました。また起業の場合、土日も仕事のことを考えてしまうこともあるんですが、いっぽうで自分で仕事のコントロールもできます。「この期間は家族を優先しよう」とか。自分でやっている事業だから、自分で責任もリスクもとれます。でも、モデラートを立ち上げた後に、息子が3度目の再発をしました。この時は、仕事を続けるか迷いました。
── どうされたのでしょうか。
市原さん:小学校6年生になっていた長男から、「毎日病院に来られて、ずっとそばにはりつかれていても困る」と言われたんです。それは本音でもあるし、彼の優しさでもあったと思います。そして、「もちろん、仕事は続けなよ!」と言ってくれました。長男のひと言が働き続けることを決意させてくれたのです。それからも働くなかで生活は長男を最優先しました。でもその頃には、病院に通いながら仕事を続けられる体制や環境も整っていました。看病をしながら働く中で、長男は3度目の再発を乗り越え、白血病は寛解に至りました。今では長男は大学生に、次男は高校生になり、ふたりとも元気に過ごしています。