D2Cファッションブランド「SOÉJU 」(ソージュ)などを展開するモデラート株式会社。代表取締役を務める市原明日香さんは、アクセンチュアやルイ・ヴィトンジャパンを経て38歳のときにモデラート株式会社を立ち上げました。華々しいキャリアを重ねてきた市原さんですが、起業のきっかけは長男の白血病でした。

「女性が活躍できる社会の実現」目指し仕事に身を捧げ

── 2014年に現在の会社を立ち上げられました。その前はどういうキャリアを築かれていたのですか?

 

市原さん:新卒で入社したのはアクセンチュアでした。とても忙しくて、当時は時間を忘れて仕事に没頭していました。でも私自身、「短い時間で成長したい!」という強い気持ちがあったので、苦ではなく、やりがいを感じていました。その後、ルイ・ヴィトン ジャパンに転職しましたが、本社との時差にあわせた業務や海外出張も多く、仕事に身を捧げる生活でした。

 

── そこまで働くモチベーションはどこにあったのでしょうか?

 

市原さん:就職活動をしている時から、働く女性のもどかしさを解決したいという思いがありました。性別関係なく、誰でも活躍できる社会であってほしいと。会社の意思決定層に女性が少ないことに問題意識を感じていたんです。意思決定の場に女性が増えない限り、社会の状況は変わらない。この状況を変えるために、自分もその一助となりたいという気持ちでいました。早く実力をつけて経営の意思決定に関われる立場を目指したい、という思いで働いていました。

 

── 女性が活躍できる社会を実現させたい、という気持ちが根底にあったのですね。

 

市原さん:はい。その思いもあって、夢中になって働きました。でも、子どもを授かったときに「子育てをしながら、この生活は続けられないな」と思いました。それで、「自分で働き方を設計していい」と言ってくれたベンチャー企業に転職したんです。自由度が高い職場でしたが、それでも仕事と育児の両立は難しかったです。ベンチャー企業は少数精鋭だからこそ、プロジェクトの担当者は私しかいません。クライアントとの大事な打ち合わせの日に子どもが発熱して保育園から呼び出されても、その打ち合わせに対応できるのは担当者である私だけです。夫や両親に慌てて電話をして、来られるほうに来てもらうことを頻繁にしていました。

 

── ベンチャー企業だからこその対応ですね。

 

市原さん:アクセンチュアやルイ・ヴィトン ジャパンにいたときは、会社の看板を背負っていたので、女性であることが不利だと感じることはありませんでした。でも、ベンチャー企業では「女の子」扱いされることが増えたんです。取引先に男性が多かったこともあり、「社長のアシスタントでしょ?」と名刺交換すらしてもらえないこともありました。仕事と育児の板挟みにあいながら、女性が働くうえでの問題の大きさをより感じました。毎日心が折れそうになっていたように思います。そんな中、当時3歳だった長男が白血病だとわかったんです。

「これは、仕事を辞めるってことだな」

── 息子さんの病気がわかった時は、どのような状況だったのでしょうか。

 

市原さん:最初は微熱が続く状態でした。熱が少し出ては下がり、また微熱が出てという状態が1か月ほど続いていたんです。顔色が悪くなってきて、いよいよおかしいと思い採血をしてもらったところ、白血病と判明しました。まったく予想していなかったので、その時は本当に衝撃的でとてもショックを受けました。

 

一時退院中に小旅行をしたときの一枚

── 予兆などもなかったのですね。

 

市原さん:はい。病気を告げられた時にまず思ったのが、「これは、仕事を辞めるってことだな」でした。本来なら「息子の人生どうなるんだろう?」と考えるべきなのに、仕事のことを考えてしまったんです。「あの時なぜ、そんなことを考えてしまったのか…」と、当時の息子への罪悪感は今でもあります。でも、それくらい綱渡りの毎日で、仕事に追われて常に気持ちが張り詰めていたのだと思います。

 

── そこから、どのように闘病生活に変わっていったのでしょうか。

 

市原さん:長男はすぐに入院となり、そこからは仕事を辞めて長男の治療に専念する日々が始まりました。「できることならこの子の体と変わってあげたい」と願い、つきっきりで看病をしました。1年間はほぼ病院に泊まり込む生活です。息子が4歳、次男は3歳になっていました。長男の看病をしつつ、家では次男が待っています。私の母が助けてくれたことと、夫が次男の子育てを積極的にしてくれたことが救いでした。ただ、母と夫がいても、どうしても次男には寂しい思いをさせてしまいます。次男といる時は、長男のことを考えずに100%次男のことだけを考え、密度の濃い時間を過ごすように意識していました。

 

── 息子さんの病気がわかって、夫婦の関係性は変わりましたか?

 

市原さん:私は毎日ベッドの中でこっそり泣いている時期もあったのですが、夫はとにかく冷静でした。でも、普通に生活をしていたら読まないような医学論文を読み始めたんですよね。主治医もびっくりして、「この親にはちゃんと話さなきゃいけないぞ」と思ってくれている感じでした。夫は自分で正しい判断ができるようにしていたようです。「夫は私とは違うショックの受け方をしているんだな」と思いました。私とは表現の方法は違いますが、夫なりの方法で子どもと病気と向き合っていたのだと思います。

 

── 旦那さんなりに動かれていたんですね。

 

市原さん:それまではどうしても自分と夫を比べてしまい、「夫は結婚前から働き方がそんなに変わらない」「私のほうが家事や育児をやっている」「私ばっかり」と、夫に対してネガティブな感情が渦巻いていました。育児で目いっぱい働けないことで、会社でも思ったように評価されない、というもどかしさを引きずっていたのかもしれません。でも、私が泊まり込みで看病をするいっぽうで、夫も状況を受け止めて行動している姿を見て、初めて夫を戦友だと思えました。それはすごくよかったですね。