芸能生活42年になる伍代夏子さん。演歌歌手を目指して高校時代に芸能生活をスタートするも、当初はコンパニオンから着ぐるみまで、憧れとはほど遠い仕事ばかりだったそうで。(全5回中の5回)

モデルじゃなくてコンパニオン

── 演歌歌手としてご活躍の伍代さんですが、芸能活動のスタートはモデル事務所から始まったそうですね。

 

伍代さん:モデル事務所の方にスカウトさせて、無理やり入りました(笑)。

 

── 無理やりとは…モデルの世界に憧れがあったのでしょうか?

 

伍代さん:モデルというより演歌ですね。子どもの頃から演歌が好きでしたが、オーディションを受けて人からジャッジされるのはその当時はプライドが許さなかった。かといって他にチャンスもない。どうしようかと思っていたら、高校一年生の春。友達と渋谷にいたら、いかにも芸能関係のスカウトマンみたいな男の人がいたんですよ。渋谷パルコの前でキャップを被ってサングラスに口髭。そこに一眼レフを持ったいかにも怪しそうな男の人が「お姉さん」って次々に道で声を掛けていて。それを見た瞬間あの人だ!あの人にスカウトされれば演歌歌手になれるって思っちゃったんです。思っちゃったら一直線なので、その人の前を30回くらい、これみよがしに前を歩いたり、バックしたり(笑)。次第にだんだん日が落ちてきて、時間も遅くなって、人通りもまばらになって。やっとこの人が「わかったよ、あげるよ」って、もうしょうがないなって顔をしながら私に名刺を渡したのが、大手事務所の名刺でした。

 

ただ、そこは演歌ではなくモデル事務所。登録はしましたが、途中からここにいても歌手にはなれないと思って、ボイストレーナーの先生を紹介していただいて、歌のレッスンを始めました。

 

── モデルのお仕事は実際にされたのでしょうか?

 

伍代さん:モデルというか、コンパニオンみたいな仕事をしてましたね。膝上丈のミニスカートにブーツを履いて、なんでこんな格好しなきゃいけないの?と思いながら、展示会など企業のブースに立って商品の説明をするとか。オーディオフェアとかモーターショー、後はキャラクターのイベントで着ぐるみも着てましたよ。このバイトで7キロ体重が落ちましたね。

 

事務所の人にも「顔見えないなら化粧しなくていいし、こんなのやる意味あるんですか?」と聞いたら、「これからのタレントさんは顔が見えなくてもジェスチャーで表情を表さないといけない」とかうまいこと言われて。でも、今から思うとそれでも芸能界の端っこにいるような気持ちになれたのかな。高校2年生になる頃には歌のレッスンも始めたので、オーディションを受けながらレコードデビューに繋がっていきました。

 

── レコードデビュー後、今の伍代夏子さんのお名前になる前に3回名前が変わったそうですね。

 

伍代さん:1回目はデビューして4か月で事務所が夜逃げしたんです。でもちょっと柄の悪い会社だったので、夜逃げしてくれて正直ホッとしました。そこから2つ目の名前に。ここでは事務仕事やお茶汲みもしながらレコードを出しましたが、全然売れなかったので3回目の名前に。今度は本名で歌いましたが、そこでも売れなかったので4回目、今の伍代夏子の名前になりました。

 

── 名前を変えるたびにどんなことを思いましたか?

 

伍代さん:名前のせいだけではないですけど、すべてしっくりきてなかったですね。楽曲の方向性やプロモーション、イメージの作り方。それでも今度は着物を着てみよう。名前も変えて、こんな感じにしてみようってみんなで相談しながら少しずつステップアップしていくんです。だから私にとって名前を変えるのは脱皮みたいな感じですね。

 

── 伍代夏子さんのお名前で活躍されるまで、いろいろな場所で歌ったそうですね。

 

伍代さん:5人しかいない銭湯で歌うとか、スナックやキャバレーは当たり前。マスターが氷を作っている横で歌っていたら、部屋にある小さいステージで踊っている人がいて、顔を見たら70歳くらいの女性ストリッパーだったのは強烈でした。

 

お酒を飲む場所では私もガンガン飲まされるし、何処か売り飛ばされそうな気持ちになってしまって。だから酔い潰れちゃいけない、人に絶対弱みを見せちゃいけない、嫌われるように嫌われるようにしていて、鎧を着ていた時期もありましたね。