「もしも、あのとき、あの場所にいなかったら」。そんな人生の転機が高橋ひとみさんにもありました。それは「友人に誘われてオーディションを受ける」ことではなく、その後の一瞬のできごと。人生の岐路をかみしめるインタビューになりました。(全5回中の1回)

職人の父から怒られたことは一度もなかった

── お父さんは、大工の棟梁でいらっしゃったそうですね。職人さんのご家族も出入りするにぎやかな家庭だったとか。

 

高橋さん: 職人さんが2~3人いて、そのご家族も一緒に住んでいたので、家のなかはつねににぎやかでしたね。寡黙で職人肌な父でしたが、私にはとにかく優しくて、怒られた記憶が一度もないんです。

 

そのぶん、母には厳しく育てられました。以前、手相を見てもらったときに、「お父さんは、もうお亡くなりですか?」と聞かれたので、「いえ、まだ元気ですけど…」と伝えたら、「お母さんの影が強すぎて、お父さんが見えない」と言われたくらい(笑)。

 

大工の朝は早いので、母は外も薄暗いうちから毎日食事の支度をして、みんなのお弁当を作っていました。朝6時に家を出て、18時には晩ご飯、21時には寝るという健康的な生活でした。

 

── 学生時代は、どんなことに打ち込んでいたのですか?

 

高橋さん: 中学校から私立の中高一貫のミッション系の学校に進み、バレー部に所属していました。『アタックNo.1』を見て育った世代なので、女子の間でバレーボールが大人気だったんです。

 

当初、中学校にバレーボール部がなかったので、友人と2人で学校に掛け合ってバレー部を作りました。ただ、できたてのチームなので、めちゃめちゃ弱くて、他校との試合で一度も勝ったことがありませんでした。でも、すごく楽しかったですね。

オーディション帰りに声をかけてきた寺山さん

── 高校3年生のときに、劇作家の寺山修司さんが演出する舞台のオーディションに合格し、女優としてデビューされました。いつから女優を目指していたのですか?

 

高橋さん: とくに女優を目指していたわけではなかったんです。幼なじみの友人が夏休みに寺山修司さんの舞台のオーディションを受けるというので、興味本位で一緒に行ったのがきっかけでした。寺山さんのことも“作家の方”くらいの認識しかありませんでしたね。

 

だから、自分がなぜ受かったのか、よくわからないんです。オーディションが終わって会場の後ろで友だちを待っていたら、寺山さんがこちらに歩いてきて、「君、何番?」と声をかけられて。もしもあのとき、友だちを待たずに帰っていたら、いまの私はいませんね。

 

── やはり光るものを感じたのでは?

 

高橋さん: 多分、じっと友だちを待っている私の姿が、「演劇好きで一生懸命な子」に見えたんじゃないでしょうか。

 

オーディション会場では、年齢も上のほうで背も高かったので、「きっと可愛いらしい子じゃないとダメなんだろうな」と諦めていたのですが、主役を取り巻く少女のひとりとして選ばれて、ビックリしました。

 

寺山さんの舞台はおおまかなコンセプトはあるけれど、台本がなくて、どんどん変わっていくんです。主宰する劇団「天井桟敷」の人たちは、そのやり方がわかっているけれど、こっちは初めてだから、わけがわからず、とまどいました。

 

でも、寺山さんも劇団員の方もみんな優しかったし、なにより学校以外のことで自分が認められる経験が嬉しかったんです。だから、怖いもの見たさのような感覚で、ドキドキワクワクしながら毎日、稽古に行っていました。

 

── ミッション系の一貫校だと、校則が厳しそうですが、芸能活動は大丈夫だったのですか?

 

高橋さん: 学校からは「芸能活動をするなら退学ですよ」と宣告され、母には「せっかく中学から私立に入れて、もう少しで卒業なのに…」と泣かれました。でも、その後、院長先生に呼ばれて、「今度の試験の結果がよければ、特別に芸能活動を認めましょう」と言ってくださって。

 

じつは院長先生は、昔、歌手活動をされていたのだとか。だから、「やりたい気持ちを抑え込むと、一生後悔するだろうから」と、理解してくださったんです。そんな気持ちに応えたいと、勉強も一生懸命頑張りましたね。

「家族よりも一緒にいる時間が長かった?」寺山修司との日々

── 寺山修司さんの「秘蔵っ子」と呼ばれ、1983年に亡くなるまで、晩年を一緒に過ごされました。寺山さんは、どんな方でしたか?

 

高橋さん: とにかく誰に対しても優しい方でしたね。声を荒げて怒ったり、大きい声を出したりする姿を一度も見たことがありません。

 

寺山さんに、「とにかくそばにいなさい」と言われたので常について回りました。あまりに一緒にいるものだから、母は私の姿が見えないと、「うちの子そちらにいますか?」と寺山さんに連絡をしてくるほど(笑)。家族よりも長い時間を一緒に過ごしていました。

 

高橋ひとみさんと寺山修司さん(右)

寺山さんは、よく行きつけの喫茶店で原稿を書いていらっしゃいました。その横に座ってじっと待ち、原稿が書きあがったら、公衆電話から新聞社に電話して、その内容を編集者に伝えるのが私の役割でした。

 

── 寺山さんは、高橋さんになにを学ばせようとなさっていたのでしょう?

 

高橋さん: それがよくわからなくて(笑)。私としては、せっかくだから何かを教えてほしいわけです。だからあるとき、「この前に出演した映画で、東陽一監督はいろいろと指導してくれたのに!」と文句を言ったら、「あのね、学ぼうとしないからわからないんだよ」と、優しく諭されました(笑)。

初舞台の日にもらった「5つの言葉」がいまも心の支え

── 寺山さんといえば、役者さんはもちろん、多くの人にとって、まさに憧れの存在。付き人のように時間を過ごしたのは、恵まれた環境ですよね。

 

高橋さん: 寺山さんをものすごく尊敬している俳優の三上博史くんには、「なんて羨ましい…」とよく言われていました。

 

ただ、もしも私が「絶対に女優として成功してやる!」と、ギラギラするタイプだったら、そばに置いてもらえなかったかもしれません。女優という仕事に対して欲がなかったので、なにか言われても、「いいも~ん、別に!」なんて、生意気なことばっかり言っていましたから。

 

秘書の女性が寺山さんの資料本が入った重たい荷物を持つのを見て、「なんで自分で持たないの!」と言ってみたり。いま思えば、ただの子どもでしたね。

 

── 物怖じしない子だったのですね(笑)。でも、そんなふうに接してくる人はいなかったでしょうから、逆に気楽だったのかもしれません。

 

高橋さん: 私がどんなに生意気な口を聞いても、楽しそうに笑っていらっしゃいましたね。みんなでご飯を食べたり、遊びに行ったりと、和気あいあいと家族のような温かい時間をたくさん過ごしました。

 

わが家に大量に本を持ちこんで、本棚を作ってくださったことも。「女優になったら、お部屋公開の取材もあるかもしれない。そのときに本がないとカッコ悪いからね」と、みずからブックエンドまで買ってきてくれて。

 

「本屋さんに行くと、目線の高さの場所にはだいたい五木寛之の本が並んでいるから、せめて、ひとみの部屋の本棚の目線の高さには僕の本を、そして女優として演じる本、置いておいてカッコいい本で埋め尽くそう」と、ご自身の本を並べる姿が、いまでも懐かしく思い出されます。

 

結局、寺山さんの劇団に所属していたわけでもなく、舞台にも1度しか出ていないので、稽古をつけてもらった経験はほとんどありません。ただ、デビュー作の初舞台の日に贈られた言葉は、私の宝物としていつも胸の中にあります。

 

── どんな言葉だったのでしょうか?

 

高橋さん: 初舞台の初日に、寺山さんからいただいたスクラップブックに書かれていたのが、「うまくなるな」「体をつねに鍛えろ」「いいライバルを見つけろ」「本を読むこと」「いいものを見ろ」という5か条です。

 

──「うまくなるな」とは、どういう意味だったのでしょう。安易なテクニックに走っていけない、ということですかね…?

 

高橋さん: そういう意味もあるでしょうね。簡単に上手になってはダメだというか、「小器用になるな」ということだと思うのですが、なかなか難しいなあと感じます。いまだにきちんと理解できているかわかりません。

 

スクラップブックには稽古中の写真や舞台ポスターを縮小したものが貼られ、詩まで書いてくださって、すごく心のこもった贈りものでした。「天井桟敷」は海外公演も多く、海外から手紙や葉書もたくさんいただきました。もちろんいまでもすべて大切にとってあります。

 

寺山さんと過ごしたのはわずか3年でしたが、その後の何十年よりも密度が濃い感じがするんです。無償の愛をもらったのは初めてでした。

 

だから、その記憶から抜け出せず、その後、どんな愛情をもらっても「こんなんじゃないのよね…」と、物たりなく感じて、どんどんハードルがあがってしまいました(笑)。50代まで結婚しなかったのも、その影響が大きかったのかもしれません。

 

PROFILE 高橋ひとみさん

1961年東京都生まれ。1979年、寺山修司演出の舞台『バルトークの青ひげ公の城』で女優デビュー。83年に『ふぞろいの林檎たち』でドラマに初出演。現在まで数多くのドラマや映画、舞台に出演し、近年はバラエティ番組や情報番組などでも活躍している。2015年より、南アフリカ観光親善大使、19年より大田区観光PR特使を務める。現在、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』に出演中。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/ホリプロ