2020年に初期の中咽頭がんと診断されたお笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん。闘病生活を気丈に支えてくれた妻や家族との関係、これから取り組みたいという「お笑い+サッカー」について伺いました。
病気をしてから嫁さんがちょっとだけ優しくなった(笑)
── 闘病中は、ご家族の存在が大きな支えになったことと思います。ご病気を経て、夫婦の関わり方に変化はありましたか?
ワッキーさん:もともとうちの嫁さんは、すごくサッパリとしたタイプですし、結婚生活も長いので、とくに夫婦の会話が多いという感じではなかったんです。悲しいかな、業務連絡的なことだったり、子どものことやお金の話だったり。機嫌がいいと、向こうが踊りだしたり、僕も合わせて踊ったりしますが、まあ、一般的な夫婦と同じような感じじゃないかなと思います。
でも、僕が病気をしてから、嫁さんがちょっとだけ優しくなりましたね(笑)。
── そうなのですね(笑)。例えばどのような?
ワッキーさん:前よりも話しかけてくれる回数が増えましたね。例えば、僕が自分の部屋に行く回数がちょっと多くなってくると、「大丈夫?なんかあった?」などと聞いてくれるので、嫁さんなりに僕を気づかってくれているんだなと感じます。
自分ががんだと告げたときも、慌てたり、動じたりすることなく、「あんた、最近ひとりでせこせこと病院に行ってたから、なんかおかしいなと思ってたんだよね」と、あっけらかんとした様子でどっしり受け止めてくれたので、僕も安心して治療に向き合えました。
知り合いのお医者さんにいろいろと話を聞いてくれたり、セカンドオピニオンを提案してくれたのも嫁さんでした。入院中も、頻繁に子どもの動画を送ってくれて、僕を励まし続けてくれた。感謝をしてもしきれません。嫁さんには、頭が上がりませんね。
大好きなJリーグをお笑いで盛り上げたい
── 昨年から、念願だったお笑いの舞台にも復帰されました。今後、やってみたいことはありますか?
ワッキーさん:僕はJリーグが大好きなので、「Jリーグってこんなにおもしろくて素晴らしいんだよ」ということを広く伝えていきたいですね。もっともっと盛り上げて、テレビのゴールデンタイムに試合が流れるぐらいにしたいという思いがあります。
僕は芸人なので、そこにお笑いを絡めて、自分なりの要素も取り入れながら、Jリーグを盛り上げていければいいなあと思っているんです。
── ワッキーさん流の“お笑いを絡めたJリーグの盛り上げ方”といいますと?
ワッキーさん:少し前にインスタグラムで発信していて、Jリーガーの皆さんからも好評だったのが、「Jリーガーのモノマネシリーズ」ですね。
たとえば、ゴール後に子どもみたいなガッツポーズをする元川崎の中村憲剛選手だったり。ミシャという愛称で親しまれている北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督だったり。選手や監督以外にも、審判の方のモノマネもしていますね。
── さすがサッカー通だけあって、目のつけどころがマニアックですね。しかも、審判の方とは、またニッチな(笑)。
ワッキーさん:好きな人にはわかる、みたいな。でも、Jリーグの人たちから好評で、仕事にも繋がったりしたんですよ。
Jリーガーのモノマネシリーズを始めたのは、僕のリフティングの動画をSNSにアップしたことがきっかけです。体調が戻ってきたので、リフティングを始めたのですが、その様子をSNSにアップしたら、フォロワーの方からたくさん励ましのメッセージをいただいたんですね。
それで、嬉しくなって、僕の好きな福森晃斗選手の特徴をマネた動画をSNSにアップしたところ、すごく好評だったので、他の選手のモノマネもやってみようと思ったんです。
── 確かに、ワッキーさんらしさを生かした盛り上げ方ですね。モノマネを見ると、実際に選手のプレイも見てみたくなります。大好きな趣味と仕事が良い形で結びついていくといいですよね。
ワッキーさん:モノマネシリーズをやりながら、“こういう盛り上げ方もあるんだな”と、自分でもあらためて気づきましたね。モノマネなのでお笑いとの相性もいいし、Jリーガーの皆さんも喜んでくれるので、今後もずっとやっていきたいなと思っているんですけど、ちょっとネタが尽きちゃって、いったんお休みしているところです(笑)。
RPOFILE ワッキーさん
1972年生まれ、北海道出身。吉本興業所属のお笑い芸人「ペナルティ」のボケ担当。94年、高校・大学のサッカー部の先輩だったヒデと「ペナルティ」を結成。同年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し、デビュー。その後、テレビや舞台など幅広く活躍。2020年に初期の中咽頭がんを発症。21年3月に仕事復帰するも体調が戻らず、再び休養。同年12月に仕事を再開し、2023年6月に劇場に復帰。
取材・文/西尾英子 写真提供/ワッキー