2020年に初期の中咽頭がんと診断されたお笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん。放射線治療と抗がん剤の化学放射線療法を選択するも、副作用で苦しみました。そんなつらい闘病生活の救いになったのは「お笑い」と「Jリーグ」だったそうです。

放射線治療の副作用で吐きっぱなし…体重は10キロ減

とにかく副作用がしんどかった2か月の入院期間。ワッキーさんから笑顔が消えた

── 外科手術は受けず、放射線治療と抗がん剤の化学放射線療法を選択されたそうですね。

 

ワッキーさん:治療をするうえで、選択肢が2つありました。手術で全部取るか、放射線と抗がん剤を併用してがんをやっつける化学放射線療法か。先生いわく、「20人いたら19人は化学放射線療法を選びます」と。

 

ただ、リスクがあって、唾液が出づらくなること、味覚が鈍くなるという後遺症が残ってしまう可能性が高いと聞きました。だから、料理人の方などは手術を選ぶケースが多いそうなのですが、僕の場合、化学放射線療法でほぼ治るだろうということで、そちらを選びました。

 

── 2か月間の入院生活。治療はかなり過酷だったそうですね。

 

ワッキーさん:副作用がとにかくキツかったです。しばらくすると食べ物の味を感じなくなりました。喉もすごく痛いし、気持ちが悪くて吐きっばなし。その影響で、体重も10キロ弱くらい減ってしまいましたね。

 

喉が痛くて食べ物を飲みこめないので、“胃ろう”を作りました。胃に穴をあけてチューブを通し、そこから栄養剤を入れて栄養補給をするのですが、子どもたちは「なにこれ~?」というリアクションでしたね。退院後も1か月間ほど、胃ろうで栄養摂取をしていました。

闘病中「笑いたいな…」のムチャぶりに応えてくれた後輩

── 闘病中は、どんなことを考えていたのでしょうか。

 

ワッキーさん:抗がん剤治療って、1回目より2回目、2回目よりも3回目と、回数を重ねるごとに副作用が強くなるんです。3回目の抗がん剤が終わったときには、倦怠感がひどいし、吐きっぱなしで夜も眠れない。すっかり滅入って、体も心も極限状態でした。そんなとき、湧き上がってきたのが、「ああ、笑いたいな…」という気持ちだったんです。

 

そこで、仲のいい後輩芸人の「もう中学生」に電話をして、「もうクン、新曲できたらしいじゃん!」とムチャぶりをして(笑)。実はこれ、僕と彼との間で以前からよくやっていた遊びなんですね。

 

もうクンに、「じつは今、ちょっとキツくてさ…」と言ったら、「大丈夫ですう〜!はいっ、できました~!」ってオリジナルの曲を歌ってくれるんだけど、もうわけわかんない歌なんですよ(笑)。それがすごくおもしろくて大好きで。痛みのことなんて忘れて、ゲラゲラ腹抱えて笑ってましたね。

 

抗がん剤で一番体がキツいときでも、「やっぱり笑いは勝つんだな」と思いました。

 

お笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん
「最後は笑いが勝つ。お笑いの仕事って素晴らしい」と実感したそう

── “笑いが体にいい”とはよく聞きますが、まさに身をもって実感されたと。笑いの力、恐るべし、ですね。

 

ワッキーさん:一番苦しいときにお笑いに助けられたことで、逆に「人を笑わせるお笑いの仕事って素晴らしいんだな」と、あらためて自分の仕事について振り返ることができたのはよかったです。

 

もうひとつ、つらい闘病生活のなかで僕を助けてくれたのが、Jリーグでした。入院中は病室にパソコンを持ち込めたので、ずっとJリーグの試合ばかり観ていましたね。

Jリーガーが「今度は俺がワッキーさんを救う番」と

── ワッキーさんといえば、芸能界きってのサッカー通で、Jリーガーの皆さんとも親交が深いことで知られていますね。

 

ワッキーさん:実は、元日本代表の吉田麻也選手が、その当時の日本代表選手全員のサインが入ったユニフォームを贈ってくれたんです。真ん中に僕の変顔の写真がプリントされたユニフォームをわざわざ作ってくれて。これにはすごく励まされましたね。

 

お笑いコンビ・ペナルティのワッキーさん
贈られたサイン入りユニフォームに感激

── それはスゴい!

 

ワッキーさん:ほかにもこんなことがありました。僕は、元日本代表の槙野智章と仲がいいのですが、ある日、彼からLINEに動画が送られてきたんです。なんだろうと思って開いたら、なんとJリーガーの皆さんからの応援メッセージ!マキの呼びかけで、Jリーグのほとんどのチームの選手たちが、グループショットで応援メッセージを送ってくれたんですよ。

 

冒頭で、キングカズこと三浦知良さんの「ワッキーさん!」という呼びかけから始まって、いろんなチームの選手たちが、「ワッキーさんなら絶対に打ち勝ってくれる!」「僕たちも共に闘います」「頑張りましょう、待ってます!」など、リレー形式で励ましの言葉を繋いでくれました。

 

最後は、世界的スーパースター、(元ヴィッセル神戸の)イニエスタが登場。そして、ひと言、「ジャッキーさん、頑張って!」と、間違えるという(笑)。

 

── ああ、惜しい(笑)!

 

ワッキーさん:ウケを狙ったわけではなく、どうやら本気で間違ったみたいです(笑)。でも、あえてそのまま使うことで、ちゃんとオチまでついた動画になっているという。

 

── 熱い心意気に胸打たれますね。

 

ワッキーさん:僕への個人的なメッセージとして、わざわざみんながこうして動画を撮ってくれて、本当に感激しました。ユニフォームもそうですが、応援メッセージにも、すごく勇気づけられて、「僕は本当に幸せ者だな…」としみじみ思いましたね。

 

── きっと、ワッキーさん自身が、人とのつき合いを大事にして、信頼関係を築いてこられたからなのでしょうね。当時(2020年6月)、槙野智章さんが、「今度は俺がワッキーさんを救う番」とXに投稿されていました。ワッキーさんの言葉に助けられたと。

 

ワッキーさん:ありがたいですよね。マキが言うには、“自分が一番落ち込んでいた時期に、僕がいろいろと相談に乗ってくれた”と。しかも、彼の結婚式で、最後の新郎の挨拶のときに「一番お世話になったのは、ワッキーさんです」と言ってくれて。逆に「え!?俺、なんかしたっけ…?」と恐縮しちゃいました(笑)。

 

僕としては、なにか特別なことをしてきたつもりはまったくなくて、好きな人たちと楽しい時間を過ごしたい、ただ、それだけです。“世の中、困ったときはお互いさま”と思って人づき合いをしてきたけれど、それがこうして繋がっているのなら、うれしいですね。

 

RPOFILE ワッキーさん

1972年生まれ、北海道出身。吉本興業所属のお笑い芸人「ペナルティ」のボケ担当。94年、高校・大学のサッカー部の先輩だったヒデと「ペナルティ」を結成。同年、銀座7丁目劇場のオーディションに合格し、デビュー。その後、テレビや舞台など幅広く活躍。2020年に初期の中咽頭がんを発症。21年3月に仕事復帰するも体調が戻らず、再び休養。同年12月に仕事を再開し、2023年6月に劇場に復帰。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/ワッキー