2008年に娘を出産したフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。しかし、娘にダウン症があると周りに伝えるまで3年にも及ぶ時間がかかったそうです。(全5回中の4回)
「真奈見ママ、何かあったね」
── 2008年8月に娘さんを出産。しかし娘さんのダウン症について、周りの方に伝えるのに少し時間がかかったそうですね。
長谷部さん:臨月まで東京にいて里帰り出産しましたが、周りの知人、友人にはしばらく娘のことは言えなかったですね。娘は生まれてしばらくNICU(新生児集中治療室)にいて、私だけ先に退院してきたんです。友だちからメールをもらっても一緒にいないし、どうしようと思いながら挨拶だけ事務的に返して。でも、子どもの写真も一緒に送らないのも不自然ですよね。あと、いつ東京に戻ってくるの?と聞かれても、私もいつまで実家にいるのか先が見えなかったし、娘を飛行機に乗せて、長距離の移動に耐えられるのかもわからなかった。周りもなんでそんなに里帰りしているのか不思議に思ったかもしれませんが、しばらくは何も言えなかったんです。
ただ、娘がダウン症だと気づかないような写真が撮れたら、それを送りたいなとは思っていたんです。いろいろな角度から娘を撮って、ダウン症の特徴がわかりにくい写真を送ったつもりでしたが、今思えば誰が見てもなんとなくわかるんですよね。
なかなか現実を受け入れることができないまま、この先娘は歩けるようになるのだろうか、耳は聞こえて、しゃべれるようになるのか。合併症と言われるものがどれくらい出てくるのかわからなかったので、この先がイメージできませんでした。5年後…いや、1年後の見通しが立たなかったので、すごくつらかったですね。
── 周りの方にはどうやってお話しようと思いましたか?
長谷部さん:妊娠中にベビーシッターの会社で仕事をしていましたが、そこが一番言えなかったですね。娘の写真を送っても全員気づくでしょうし、写真を見ても「なんて言葉をかけたらいいんだろう」って一瞬、悩むのがわかるから。悩ませるのも申し訳ないし、ほっといて欲しい。心配してほしくなかった部分があります。だから、いろいろ考えてしばらく言わなかったんですけど、一番信頼していたチャイルドケアアドバイザーの方から連絡が来たんです。
「真奈見ママ、何かあったね」って。「話せるだけ話してごらん。みんなで育てていくから」って言ってくれたんです。その時どこまで話したか覚えてないですが、そうかと。ひとりで悩む必要はないんじゃないか。私はこんなにも子育ての専門家が周りにいたんじゃないかと思って、ここにこそ言っておいた方がいいと話すことにしたんです。そうは言ってもまだ電話で話せる状態ではなかったので、メールを送って。
するとその方が「そうか。今泣きたいだけ泣けばいいし、精一杯向き合えばいいんじゃない」と言ってくれて、続けて「これは人生おもしろくなってきたね」って言われたんですよ。そのときはピンときてなかったんですけど、今思えば私の性格を知っているので、これからもきっと乗り越え、自分の人生にしていくのだろうと。実際、今もこうやって取材を受けたり、講演会でお話をしたりできています。何を想像して言ってくれたのかわかりませんが、そんな言葉をかけてくれました。