一番恐れていた反応がきた

通学の途中に

── ベビーシッターの派遣会社の方々は知識も理解もある方々かと思いますが、そうではないお友だちや仕事関係の方には、どのタイミングでお話しされましたか?

 

長谷部さん:娘を出産してしばらくした後、私がヨガスタジオを経営することになったんです。ヨガスタジオのホームページを作成して、そのなかにブログも作って、ブログでカミングアウトしました。周りの知人、友人たちに「ヨガスタジオ始めました。ホームページを作ったから感想ちょうだい」とだけ書いて、一斉メールを送ったんです。ブログのページがあればみんな見るだろうと思って、ブログで初めて知る感じで。

 

まだ娘の話だけを単独で伝える勇気がなかったので、ヨガを始めたっていう前向きな話と一緒に抱き合わせみたいな感じ。セットじゃないと報告できなかったです。そこにいきつくまで、娘を出産して3年くらいかかりましたが、私にとって、すごい勇気の要ることでした。

 

── 周りの反応はいかがでしたか?

 

長谷部さん:想像していた通りの反応、一番恐れいていた反応がきました。「大変だったね。何も知らずにごめんね」「大丈夫?」。すごく親しい友達は「なんで真奈見ちゃんにこんな試練を与えるんだろう」と一緒に泣いてくれました。当時の私は全然そういう反応はしてほしくなかったんですけど。「とにかく一緒にご飯食べよう」と誘われた帰りの電車で「なんで真奈見ちゃんばっかりこんなこと起きるだろうね」と言われて、すごくつらかったのは覚えています。

 

今も仲がいい友だちなのでこういうことも言えるんですけど、一番言われたくない言葉でした。絶対によかれと思って言ってくれた言葉なのですが、その時は完全なる同情と感じました。私が何か言ってしまう前に早く電車を降りたいと思っていました。

 

── 心配されたくないし、同情もされたくない。

 

長谷部さん:ただ実際、私もダウン症のある人との接点を持つのは娘が初めてです。今まで周りにダウン症のある人がいなかったので、はじめは知識も理解もなかったし、母親になって少しずつ現実を知っていったのもたしかです。

 

その後、友人にも自分の気持ちを改めて伝えられましたし、まずはこうやって周りに知ってもらうことから。そこから少しずつ理解が深まっていけたらいいなと思っています。

 

 

PROFILE 長谷部真奈見さん

慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、 JPモルガン証券に入社。投資銀行部門にて、M&A(企業の合併・買収)のアドバイザリー業務に携わる。ニューヨーク本社にて勤務中、2001年「9.11世界同時多発テロ事件」に遭遇したことを機にテレビ局へ転職。報道番組の記者兼キャスターを務め、現在はフリーアナウンサーとして活動中。2008年8月に第一子を出産して1児の母。

 

取材・文/松永怜 写真提供/長谷部真奈見