22年6月にお母さまを見送り、昨年8月には55歳の若さで弟さんを亡くした歌手の坂本冬美さん。普通なら塞ぎ込んでしまいそうなつらい出来事ですが、ブログには「私はしぶとく生きていきたい」と綴っています。身近な人の死を経て感じたこと、これからへの想いを伺いました。

母の死に寂しさはあるが後悔はない。でも弟のことは…

坂本冬美さんとお母さん
2002年から1年間の休養中も坂本さんを支えてくれたお母さまと

── 悲しい別れが相次ぎ、つらい思いをされましたね。

 

坂本さん:母は高齢でしたし、60代後半から入退院を繰り返していて、亡くなる前の数年間はほとんど寝たきりでした。ですから、いずれ訪れるであろう別れを覚悟していた部分もありました。

 

97年に父を交通事故で亡くし、「もっといろいろと親孝行をしてあげたかった…」と後悔した経験があるので、せめて母のためにやれることは精いっぱいやろうと、毎月実家に戻って手料理を食べさせたり、顔を見て話しかけたりと、自分なりに親孝行をしてきたつもりです。ですから、母との別れは、寂しさはありますが、後悔はないんです。ただ、弟のことは、本当にショックが大きくて…。

 

── 弟さんは、まだ55歳とお若かったのですね。

 

坂本さん:奇しくも父が亡くなった歳と同じでした。母が寝たきりになってから6年ほど、弟はずっとそばで献身的に面倒をみていました。本当によく尽くしていて、きっと母も喜んでいたと思います。

 

だから、母が亡くなって、弟もようやく自分の時間が持てるだろうと思っていたのですが、その矢先にがんが見つかって…。すでに余命半年との宣告でした。しばらく闘病生活を送っていましたが、昨年8月に旅立ちました。亡くなる直前までそばにいられたので、もう意識はありませんでしたけれど、いっぱい声をかけました。

 

「派手に送ってくれ」という遺言どおり、出棺のときには、弟が大好きだったサザンオールスターズのアルバム『NUDE MAN』を流して、送り出したんです。

 

3〜4歳の頃の坂本冬美さん
お姉さん、弟さんとの3人きょうだいの坂本さん。和歌山ののどかな田舎町で育った。写真は3〜4歳の頃

── ブログには、「明日から気持ちを切り替えて、弟のぶんも頑張ってしぶとく生きていきたいと思っております」と気丈に綴られていました。お2人を見送られた今、あらためてどんなことを感じていますか?

 

坂本さん:人生は何が起こるかわかりませんね。毎日健康で過ごせることは、決して当たり前のことではないんだなとつくづく感じます。父との別れも突然でしたし、弟のこともそう。生きたいと願っても、生きられない人だっているのだから、遺された者は命ある限り、1日1日を大切に悔いなく生きていかなければという思いがより強くなりました。

 

とくに近年、コロナや震災などが相次ぎ、いつどこで何が起きたっておかしくないと皆さんも感じていらっしゃると思います。私も、コロナ禍でステージに立てず、つらい時期が続きました。ですから、それ以降はこれまで以上に1回1回のコンサートを大事にして、お客さんと丁寧に向き合うようにしています。

 

悲しみが多ければ多いほど、人は強くなるものだなと思いますね。

人気アイドルが繋いでくれた意外な縁「今の私の癒やしです」

── 別れといえば、2005年に38歳で亡くなった本田美奈子さんとは生前仲がよく、今でも命日にはお参りを欠かさないそうですね。アイドルと演歌歌手という、いっけん接点が見えづらいお2人ですが、仲良くなったきっかけはなんだったのでしょう?

 

坂本さん:本田美奈子ちゃんとは、レコード会社が一緒で、宣伝を担当してくれていた方も同じだったんです。デビューは彼女が2年早かったのですが、同じ67年のひつじ年。初めて会ったときから、妙にウマが合うというか、しっくりくる感じで、すっかり打ち解けて。お互いすごく忙しかったので、会えるのは年に1~2回くらいでしたが、会えたときには食事に行ったり、おしゃべりを楽しんだり。お互いの舞台やコンサートにもよく行きましたね。

 

坂本冬美さんと本田美奈子さんの写真
美奈子さんの15回目の命日におさめた一枚

── 美奈子さんが亡くなってからも、ご家族との交流がずっと続いていらっしゃるとか。ブログにも、まるで家族のように仲良く過ごされている姿があって、心が温かくなりました。

 

坂本さん:美奈子ちゃんが亡くなって19年が経ちますが、今ではご家族とのご縁のほうが長くなりましたね。毎年、お墓参りに行った帰りに美奈子ちゃんの実家に行って、お母さんお手製の水餃子鍋をみんなで囲むのが恒例になっています。甥っ子や姪っ子ちゃんたちと、めいっぱい遊んで楽しい時間を過ごすのが、私にとってなによりの癒やしです。

 

当時は甥っ子ちゃんたちも小さな子どもでしたが、今では社会人として立派にお勤めをしていますから、時の流れが経つのは本当に早いものですよね。まるで親戚のおばちゃんのような気持ちです(笑)。

 

── 20年近くにわたって温かい交流を育まれてきたのですね。美奈子さんもきっと天国で安心して微笑んでいらっしゃると思います。

 

坂本さん:あれほど才能にあふれ、歌うことが大好きだった彼女が、志半ばで歌を手放すことになってしまった。どれほど無念だったろう、きっとすごく苦しかったよね…。彼女の気持ちを思うと、すごく切なくなります。もしも自分だったら…と、置き換えて考えてしまいますね。

 

だから、彼女の代わりと言ってはおこがましいのですが、私にできることがあれば、なんでもしたい。単純にそういう気持ちですね。美奈子さんの家族は、いまや私にとっても、すごく大事な人たち。これからもずっとおつき合いを続けていきたいです。

 

PROFILE 坂本冬美さん

さかもと・ふゆみ。1967年生まれ。和歌山県出身。1987年、19歳のときに「あばれ太鼓」でデビュー。『祝い酒』『夜桜お七』『また君に恋してる』など、数々のヒット曲を持つ。91年には細野晴臣、忌野清志郎とHISを結成するなど、ジャンルを超えて活動。2024年2月に「ほろ酔い満月」をリリース。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/坂本冬美