多忙を極めて決断「タレント業は1年休もう」
── 浜田ブリトニーさんはテレビでも活躍されていました。どういったきっかけでテレビに出演するようになったのでしょうか?
浜田さん:『パギャル!』は毎週6ページ掲載されていたのですが、担当さんが7ページ目に『ブリトニーの人生相談』という写真と文章のコーナーを作ってくれました。それを偶然読んだテレビ局の人が「読者からの相談に対する回答がおもしろい」と、声をかけてくれたんです。
最初は編集さんと一緒にテレビ出演していましたが、芸能事務所にスカウトされ、その後は1年くらいタレントとして私だけでテレビに出ていました。そうしたら知名度が上がって、多くの出版社から声がかかって。当時は漫画も4本連載するまでに。
でも、忙しくなって芸能界の仕事と漫画との両立が難しくなってきたんです。このままだと、どっちつかずになると感じたんですね。いったん芸能事務所を辞めて、1年間はタレント業を休業し、漫画に集中しようと思いました。
── 漫画に専念しようと思ったのはなぜですか?
浜田さん:私は「ギャルで漫画家」というギャップがおもしろくてテレビに出るようになったから、漫画を描かなくなったらただのギャルなわけですよ。
その状態でテレビに出ても視聴者の方も「この人って何してる人?」って思われるだろうなと。私自身もいろいろ見失っちゃいそうだから、本業である漫画にはきちんと取り組もうと考えて。
芸能事務所を辞めるときも、すごく円満に辞められたんです。いまも昔も、周りの人にはすごく恵まれていると思います。
── 考え方が非常にしっかりしていますよね。ご自身がなぜ注目されたかも客観的にとらえている印象を受けます。
浜田さん:でも、漫画を4本連載しても、どれもヒットにはつながらなかったんです。最初の『パギャル! 』は私がテレビに出ているタイミングで連載をしていたから、興味本位で買ってくれた人もいたと思うのですが…。
他の作品は売れ行きも微妙でした。漫画は好きだし、いまもずっと描いています。でも、それだけで稼ぐのは難しい気がして、他の仕事もしようと考えるようになりました。
── 具体的にどんな仕事をしたのですか?
浜田さん:タレントを休業している1年で、テレビに出なくても忘れられないようにブログを開設したり、当時、ネットで流行っていたニコ生で配信したり。
ニコ生を配信するのにスタジオを借りていたんです。そのとき、借りるだけだともったいないから飲食店も経営して、観覧できたら楽しいだろうなと思いました。
キャバクラで接客の経験もあるし、私は飲食店の経営に向いてると感じたんですよね。それで株式会社PIECE EIGHTを設立し、漫画家が集まるカフェ「オカオカハウス」を始めました。
最初の2年間は代々木上原の住宅地で、隠れ家的存在で経営していました。その後、西新宿に移転して8年営業していたのですが、コロナで大打撃をくらって。
コロナが明けてインバウンドで盛り上がっている浅草に移転し、現在は「漫画ギャラリーCAFEオカオカ」として営業しています。漫画家とファンが交流できるギャラリーカフェです。
たくさんの漫画家の先生がトークイベントやギャラリーに参加してくれます。いまでは、海外から漫画好きのお客様もたくさん来店してくださいます。
テレビにひんぱんに出ていたとき、漫画ではなくて芸能界を選んでいたら、起業することはなかっただろうと思います。そのときどきの選択で人生って変わるんだと実感しますね。
PROFILE 浜田ブリトニーさん
はまだぶりとにー。漫画家・タレント・実業家。千葉県出身。週刊漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』にて、渋谷ギャルのリアルな実態を描いた『パギャル!』を連載し、ホームレスギャル漫画家としてバラエティ番組に多数出演。2012年2月、株式会社PIECE EIGHTを設立し社長業もこなす。2児の母。
取材・文/齋田多恵 写真提供/浜田ブリトニー