2006年の国民的美少女コンテストでグランプリを獲得し、デビューした林丹丹さん。3か国語を操り、将来は語学力を活かした仕事に就こうと考えていた林さんが、芸能界に飛び込んだ理由とは。(全3回中の1回)
ひとり暮らしのような毎日に飽き飽きしていた思春期
── 日本語と英語、中国語を話せるそうですが、語学はどこで学んだのですか?
林丹丹さん:母が中国人なので、実家では中国語を使っていたんです。英語は小さなころから習い事として学んでいて、気づけば語学を学ぶ楽しさにのめり込んでいました。
中学生になると「将来は語学力を活かした仕事をしたい」と考えるようになり、国際科のある高校を目指して猛勉強した結果、当時は日常会話レベルの英語は話せるようになっていました。
── ご実家は教育熱心だったのでしょうか?
林さん:母方の祖父が大学教授だったこともあり、母もどちらかというと教育熱心だったと思います。ただ、実家は母子家庭だったので母は仕事で忙しく、私に構う時間はほとんどありませんでした。いくつも習い事なんてできないなか、母が「やったほうがいい」と習わせてくれたのが、ピアノと英語だったんです。
── お母さまが女手ひとつで育ててくださったんですね。
林さん:母は毎朝6時には出かけて、21時過ぎまで働いていました。そんな母を少しでも助けたくて、小学校高学年くらいになると身の回りのことはすべて自分でするようになっていました。
朝起きたらひとりで支度して学校に行き、下校したら宿題をして、夕飯を温めて食べる。中学生になると、夕飯後は塾に行き、帰ってきたらお風呂に入って寝て、また朝を迎える。ひとりっ子だったので、家の中はいつもシーンと静まりかえっていて、まるでひとり暮らしをしているようでした。
その後、念願叶って志望校に合格しましたが、ひとり暮らしのような毎日は変わりませんでした。そんなとき、国民的美少女コンテストの広告を見かけて「やってみたい!」と思ったんです。
芸能界への挑戦したのは「ワクワクする人生にしたかった」
── 芸能界への入り口にピンときたのはなぜでしょうか?
林さん:キラキラした高校生活を夢見ていたのに、現実はいままでの生活の繰り返しで、毎日に飽き飽きしていたんだと思います。
思い返せば、それまで旅行に連れて行ってもらうとか、行ったことのない場所に遊びに行くとか、ワクワクする経験ってほとんどなくて。だから、これからは「明日は何が起こるのかな?」とワクワクできる人生にしたかったんです。
あと、当時の生活を唯一楽しませてくれたものが、映画やドラマだったことも理由のひとつです。とくに『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンの笑顔を見て「私もこんな風に人をときめかせたい」と、俳優の仕事に憧れを抱いていました。
── 当時、進学校に通っていたそうですが、周りと違う進路を選ぶことにためらいはありませんでしたか?
林さん:小さなころから母が働いている姿を間近で見ていたので、「私も早く働いて、母の助けになりたい」と思っていたんです。周りと違う進路を選ぶことへのためらいより、「コンテストで結果を出せば、働ける!」という希望のほうが大きかったです。
── コンテストでグランプリを獲得されたときは、どんな気持ちでしたか?
林さん:コンテストに出る以上はグランプリを目指していたものの、「本当にグランプリをいただいちゃった…!」と、実感が湧きませんでした。
17歳でグランプリって史上最年長なんです。出場者も年下の子がほとんどで、私だけちょうど子どもと大人の狭間の年齢でした。
そんななか、会場でスタッフの方々が忙しなく動いていらっしゃるのを見て、「私はもう子どもじゃない。働く大人の仲間入りをしたんだ」と感慨深かったです。「これから頑張って働くぞ!」と心に誓ったことを覚えています。
早大合格も、仕事の経験を積むため辞退
── デビュー後上京し、転校先の高校を首席で卒業されました。大学進学は考えなかったのでしょうか?
林丹丹さん:当時は仕事で経験を積みたい気持ちが大きかったので、仕事の合間に勉強を続けながら大学に行くかどうかすごく悩みました。
母に相談したら、「いままで勉強してきた結果を形にするためにも、とりあえず受験してみたら?」と言われて。「もし合格できたら自信に繋がるし、進学するかどうかは結果を見てから考えよう」と思い、早稲田大学に挑戦することにしました。
結果、合格をいただいて入学金まで振り込んだのですが、最終的に「やっぱり仕事で経験を積みたい」と、入学辞退することを決めました。
── 仕事と学業の両立は考えなかったのでしょうか?
林さん:両立できればよかったんですが、当時は「俳優に求められる幅広い視点は、学生生活では得られない」と思い込んでいたんです。
また、同世代の俳優で大学に進学しない人が多かったことも大きな理由です。「いましかできない仕事がある」「大学は年を重ねてからでも通える」と考えて辞退しました。
── 18歳という若さで、そこまで仕事に一直線になれたのはなぜでしょう?
林さん:やっぱり、一生懸命働いて私を育ててくれた母の姿を見ていたので、私が早く一家の大黒柱になって母を支えたかったんです。とはいえ、大学に行かないことを母に話したときは、「もうちょっと悩んだほうがいいんじゃない!?」と驚かれました。
私は決断する前はいろいろと悩んで、最後は1人でスパッと決めるタイプ。最終的にこうと決めたら曲げない性格なので、母に引き留められても仕事に生きる決意は揺らぎませんでした。
PROFILE 林丹丹さん
大阪府出身。日本語・英語・中国語が話せるトリリンガル。2006年国民的美少女コンテストでグランプリを獲得し、デビュー。「交渉人~THE NEGOTIATOR~」など人気ドラマで活躍も、2013年に結婚し、翌年に芸能界を引退した。2児の母として幼稚園・小学校受験を経験し、2024年に芸能界に復帰。
取材・文/笠井ゆかり 画像提供/林丹丹