3万7000人以上のフォロワーがいるインスタグラマー「webマダム」こと山本美千子さん(67)は、出産を機に専業主婦へ。「なんか違う」と生き方を模索してたどり着いたのが、カメラマンという職業でした。

会社員、結婚、出産、専業主婦。この生き方は違うな…

── 山本さんは55歳でプロカメラマンとしてデビューしたそうですね。どんな経緯でカメラマンになったのですか?

 

山本さん: 20代のころはOLをしていて、24歳のときに結婚。夫が東京に転勤になったのを機に退職してからは専業主婦でした。

 

27歳で息子を出産。昭和の時代では一般的な女性の生き方です。ただ、私自身はずっと心のどこかで「この生き方は何か違うな」と感じていたんです。

 

子育て中はPTAの役員も経験しました。当時、私が住んでいたのは埼玉県の新興住宅地。息子が通う中学校も新設校でした。

 

学校の体制が整っていないなか、私は給食のおばさんから先生方まで学校関係者全員を巻き込んで、子どものためのお祭りを開催しました。そのとき、自分は人をまとめたり、集めたりすることが得意だと気づいたんです。

 

「きっと私は何かができるはず」と思ったのですが、資格があるわけでもないし、何をすればいいのかわからず…毎日焦っていました。

パートで貯めた100万円で専門学校に入学

── 何をしたらいいかわからない状態から、活路を見出したのはどんなことがきっかけだったのでしょうか?

 

山本さん:友だちからパートに誘われて、卸売りセンターで荷物の発送をする仕事に就きました。そこで100万円を貯めたんです。

 

そのころ、結婚式で仲人をする機会があり、ブライダル業界に興味を抱きました。さっそく貯めたお金を使い、ブライダルコースのある専門学校に通い始めました。

 

本格的に取り組みたかったので、桂由美さんの専属ブライダルフラワーアーティストの先生の元で修業したり、カラーコーディネイトやテーブルコーディネイトも専門的に学んだりしました。

 

SNSで知り合った人たちと積極的に交流会も開催

おかげで、埼玉県のなかでも一番規模が大きいホテルでウェディングプランナーとして働くことになりました。

 

── ようやく第一歩を踏み出したのですね。

 

山本さん:ただ、実際に働いてみると、思ったのとちょっと違っていたんです。やりがいはあったけれど、組織のなかで働くのが自分には合っていないなと感じて…。

 

ちょうど夫が福岡に転勤になって「これは自分を変えるチャンスだ!」と前向きにとらえてついていくことにしました。

 

福岡ではこれまでの経験を買われ、ホテルやレストランのコンサルタントの仕事をしていました。そのころ、ちょうどインターネットが出てきた時期でした。自社のホームページを作るホテルも多かったのですが、肝心な情報が入っていないことが多かったんです。

 

たとえば、お遍路さん向けのホテルなのに、そのことをアピールできていないサイトもありました。もし私がホームページを作れたら、もっとホテルにもお客様にも役立つものが作れるだろうなと思うと歯がゆくて…。

 

「これからwebの勉強をしたら、もっと活躍できるかもしれない」と思い、50代でホームページやデザインの勉強をするwebクリエイターの学校に通い始めました。

ブログを始めたことでカメラマンの道が舞い込む

── 行動力がすごいですね。50代から新しいことを学ぶのはいかがでしたか?

 

山本さん:すぐに「あ、これはムリだな」と思いました(笑)。それまでパソコンに触ったことすらなかったので、webの世界は難しくて。

 

そのときに、webの先生から「ブログを書いてみない?ブログを通してwebの世界がわかるようになるかもしれないよ」と勧められたんです。

 

── ブログはどんなテーマで書いていたのでしょうか?

 

山本さん:「webマダム」というハンドルネームでグルメブログを書いていました。webの勉強をしていたから、当時はまだ私くらいの年齢でフォトショップを使える人が少なかったのですが、私は勉強したおかげで、写真を加工できたんです。写真がきれいでおもしろいブログだと評判になり、たくさんの人が見に来てくれました。

 

読者のなかにはテレビ局の人もいて「おいしいお店を紹介してください」と取材の話がくることもありました。自分でも食材にこだわった食事会などのイベントを開催するなどすると、どんどん人脈が広がっていったんです。

 

ブログの写真をほめられるから、もっと上手になりたくて写真の学校に通い始めました。どこに行くにもカメラを持ち歩き、「人に見せるための写真」を撮るために試行錯誤していたら、自然と腕が上がっていきました。

 

おしゃれではつらつとした山本さんのインスタフォロワーは3万7000人以上

気づいたら、55歳ころからブログで築いた人脈やイベントで知り合った人に、カメラマンとしての仕事を依頼されることが増えました。

 

私はブログに掲載する写真を撮っていただけのつもりでした。だから、最初はカメラの仕事の話があっても「プロじゃないんだけど…」と尻込みしました。でも、せっかくのチャンスだから頑張りました。

 

その結果、55歳からプロとしてカメラマンとして活動を開始し、いまにつながっています。カメラマンとして技術を磨き、たくさんの人に求められることはやりがいがあり、しあわせです。

 

── 50歳から始めたブログのおかげで55歳から新しい道を切り拓いたのですね。お話を聞いていると、さまざまな試行錯誤を重ねた結果が現在につながっているのだと感じました。

 

山本さん:40代のころから「10年後の自分は何をしたいのか」と自問自答し、準備をしていたような気がします。いろんなことに挑戦して、うまくいかなかったこともたくさんあります。

 

でも、「あのとき行動してよかった」と思うことばかりです。たとえば「ブログの写真がきれい」とほめられたのは、webの勉強をしているときに得たフォトショップの知識のおかげですから。

 

── 50代から新しい道を切り拓いた山本さんのことを、ご家族はなんと言っていますか?

 

山本さん:じつは、夫にはカメラマンとして活動していることをずっと内緒にしていたんです(笑)。うっかり報告したら「そんなの無謀だ」と反対されそうじゃないですか。でも、自分で選んだ道だから余計なことを言われたくありませんでした。

 

ただ、夫がガンになってしまって…。亡くなる1年前くらいに「じつはカメラマンの仕事もしているんだ」と告白。闘病中の夫は、私の行く末を心配していました。でも、私がそんな充実した毎日を送っている姿が伝わって安心していると思います。

 

やりたいことがあっても、言い訳を見つけてあきらめるのは簡単です。でも、自分の人生は自分で広げていき、楽しむことが大切だと実感します。インスタも始めて、フォロワー数も3万7000人を超えました。自分が楽しむことで、たくさんの人の輪ができるんだと感じます。

 

PROFILE 山本美千子さん

やまもとみちこ。1956年生まれ。カメラマン、フードコーディネーター。福岡県在住。専業主婦からウェディングプランナー、ホテルコンサルタント等を経験。50代で始めたブログがきっかけとなり55歳からプロカメラマンに。61歳から挑んだダイエットで24キロの減量に成功。InstagramやTikTokで年齢は関係なく挑戦することの楽しさを発信している。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/山本美千子