卵子凍結を試みるも…
── 早発閉経と診断されたあと、どのような治療を行ったのでしょうか?
千種さん:妊娠に必要な卵子を一刻も早く取り出す必要があると思い、青森での出演に2年で区切りをつけて東京に戻り、卵子凍結に向けた治療を開始しました。仕事がシフト制で柔軟に調整できる面もあり、なんとか続けることができました。
卵子凍結に向けた治療を始めた26歳当時、結婚を考えている相手はいなかったものの、1日1日と自分の体が閉経に向かっているので、まずは自分の身体に向き合うべきと考え、未婚のまま卵子凍結に向けた治療を始めました。ほかの患者さんたちは、夫婦で協力して大変な治療を乗り越えているのに、なぜ私だけひとりなんだろう。本当にうまくいくんだろうかと、不安な気持ちでいっぱいでした。
── 29歳のときに卵子凍結に向けた治療を終わりにしたそうですね。
千種さん:卵巣の中に原始卵胞という卵子のもととなる卵胞がどのくらい残っているか調べるために、2つあるうちの1つの卵巣を取り出す手術をしました。取り出した卵巣の一部の組織片を切り出して調べたのですが、その組織片の中には原始卵胞が1つ見つかりませんでした。その組織片になかっただけで、切り出した際に残った卵子凍結中の卵巣のどこかには、存在しているかもしれません。しかし、これまで1年9か月もの間、卵子凍結をするために注射を続けたけど、一度も卵子が育たなかった。そのうえ組織片に原始卵胞も見つからない。このまま頑張っても卵子が育つ可能性は本当に低いんだろうなと思い、治療をやめようと思いました。
── 早発閉経について誰かに話したり、相談したりしましたか?
千種さん:早発閉経と診断されてから、定期的に大学の友人に相談していました。彼女は、結婚して子どももいましたが、私の話を聞いて、私のように子どもを産みたくても産めない人がいるなら、逆に、子どもを産める体もある人が産んで育てることが私の役目な気がすると言ってくれました。今でもその言葉を思い出すと、心が温かくなります。信頼する人に話せたことで気持ちが楽になりました。
── ご両親にもお伝えしたのでしょうか?
千種さん:母と仲がよかったからこそ、最初は言い出しにくかったですね。電話で父に伝え、父から母に伝えてもらいました。早発閉経のことは、2人のおばにも伝えました。おばは2人とも婦人科のことで悩んだ経験があります。
今メディアを通じて自分と似たような体験をしている人とつながりやすい時代ですが、おばたちの時代は、今よりも婦人科関連の悩みが社会に認識されていなかった時代でした。おばたちを始め、長いこと女性が抱えてきた体の悩みを、今、私が伝えることに意義があるのかなと思って発信活動をしています。