引退後、「バレーボールに触ることすらなかった」と話すのは、元全日本のエースで女子バレーをリードしてきた益子直美さん。嫌いだけど、離れなかった世界。益子さんにバレーの楽しさを導いたのは、障がい者やLGBTQの方たちでした。(全5回中の1回)

嫌いだったバレー「親友からの言葉」にハッとした

── 引退後、「バレーボールが嫌いだった」と明かされ、ずっと距離を置いてきたとおっしゃっていました。

 

益子さん:バレーなんて嫌い、見たくもないし、関わりたくない。そう思って、ずっと距離を取っていて、実際にプレーもしませんでした。

 

でも、50歳を過ぎたころ、数十年来の親友から、「本当は嫌いじゃないでしょ?だって、ずっと関わってるじゃない」と言われて。なんのことだろう?と思っていたけれど、そういえば、1996年からシッティングバレーボールのボランティアをやっていたんですよね。

 

シッティングバレーボールとは、下肢などに障がいのある選手が座ってプレーするバレーボールで、パラリンピック競技にもなっています。そこで、ボランティアスタッフとして玉拾いをしたり、練習のお手伝いをしていました。

 

── きっかけはなんだったのでしょう?

 

益子さん:現役時代、オリンピックに行けなかったことが心残りだったんです。現地にぜひ行ってみたいという思いから、1996年にスポーツキャスターとして、アトランタオリンピックに行かせてもらいました。

 

帰国後、オリンピック・パラリンピックの総集編をテレビで観ていたときに、シッティングバレーボールの存在を知り、「こんなバレーがあるのか!」と衝撃を受けたんです。調べてみたら、日本のシッティングバレーのチームで、知り合いがコーチをしていることが判明。そこで、ボランティアとして参加したいと手を挙げて、2000年のシドニーパラリンピックに出場するときには、プライベートで現地にも行きました。

 

── 現地にまで行かれるとは!わりとがっつり関わられていたのですね。

 

益子さん:しかも、それだけじゃなくて。2005〜2015年の10年間、新宿で「MSK(益子直美)カップ」というLGBTQの人たちのバレーボール大会をやっていたんですよね。

「 LGBTQのバレーボール大会」を開いて10年

── そうなのですね。どういういきさつだったのですか?

 

益子さん:もともと LGBTQの方たちってすごくバレーボールが好きで、特に女子バレー人気が高いんです。それもあって、姉に新宿2丁目に遊びに連れていってもらったときに、みんなと仲良くなって友だちがたくさんできて。そこから、彼らがバレーボールをしているところに遊びに行って、玉拾いをしたりしていました。

 

── 監督やコーチではなくて、ですか?

 

益子さん:たまにボールに触る程度で、指導もプレーもしませんでした。あくまでも、「MSK(益子直美)カップ」の主催者として表彰したり、玉拾いなどのお手伝いをしたりという立場です。

 

そんなあるとき、ゲイの友だちが「バレーを頑張っている人たちは、春高バレーや大学のインカレとか、目指す大会があっていいよね。私たちは、そういうの、ないからさ…」と言うんです。みんな週に3回くらいは集まって一生懸命練習しているのを見ていたので、「じゃあ、ないなら作ろうよ!」と提案。そこからバレーボール大会を10年続けました。

 

── みんながバレーをするのを見て、うずうずしてプレーしたくなったりしませんでしたか?

 

益子さん:全然ならなかったですね。元全日本という肩書きがあると、「きっとすごいに違いない」という目で見られるじゃないですか。でも、引退した瞬間から体づくりもなにもしていないし、何年もまともにボールを触ってないからできるわけないんですよ!

勝ち負けしか知らなかったバレーの世界だったけれど

── 益子さんにとって、そこでのバレーボールは楽しいものだったのでしょうか。

 

益子さん:楽しかったですね。けっこうレベルが高くて、全国大会の出場経験者もいたり。みんなうまいんですよ。チームによってガチムチ系が多くいるとか、女装の選手がいたり、それぞれ個性があったりして、とても自由で楽しそうに、でも、本気でバレーに取り組んでいました。

 

試合では円陣を組んで、「いい、みんな?今日は勝ちに行くんじゃなくて、殺しに行くわよっ!」みたいな(笑)。そんなノリもすごく楽しかったですね。

 

── 試合への挑み方が、なんとも勇ましい(笑)。

 

益子さん:みんな女子バレーの「拾ってつなぐ」バレーをお手本にしていて、女子のワールドカップなどを見て研究していて。だから、女子バレー特有のワイド攻撃とか、時間差攻撃を仕掛けるなど、なかなか本格的でしたね。

 

高校時代は全日本代表にも抜擢された益子さん

── 10年続くのは、すごいですね。

 

益子さん:私のなかで、何かひとつのことを始めたときには、「10年」というくくりがなんとなくあって。親友はそれをずっと見てきたから、「バレーが嫌いじゃないでしょ、ずっと関わってきたじゃない」と言ったんですね。

 

── それなのになぜ、「関わっていない」とおっしゃったのでしょうか?

 

益子さん:それまで自分がやってきたバレーボールは、勝ち負けを競う過酷なもの。「楽しむバレー」なんてやったことがなかったし、そうした感覚も知りませんでした。むしろ、「バレーは楽しんではいけない、苦しいものだ」と思っていたんです。

 

だから、ボランティアで関わっていたシッティングバレーや、ゲイのバレーボール大会のような楽しむバレーに対して、「バレーボールに関わっている」自覚がなかったんだと思うんです。楽しむバレーを知らなかったから、どんな感じでやればいいのか、距離感がわからず、気軽にボールに触れられなかったのかもしれませんね。

 

PROFILE 益子直美さん

ますこ・なおみ。1966年、東京都出身。中学入学と同時にバレーボールを始め、共栄学園高校3年の時にバレーボール日本代表に入り、その後、世界選手権などに出場。1992年に現役引退後、タレントやスポーツキャスター、指導者として活動。2015年から「監督が怒ってはいけない大会」を主催。2021年に日本バレーボール協会理事に就任。2023年、女性初のスポーツ少年団本部長に就任。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/株式会社サイン