子どもの頃からファッションに興味があったと語る俳優の中越典子さん。高校は芸術科コース、大学は美大を目指していた未来がいつ変わっていったのか。(全4回中の1回)

高校は芸術科コースへ

── どんな子ども時代を過ごされましたか?

 

中越さん:矛盾しているかもしれませんが、本当は目立ちたくないのに前に出ていたというか、小学校の運動会では副応援団長、中学校では器械体操部の副部長もやっていました。人を引いて見る部分がありましたし、活発なのかそうじゃないのか、自分でもよくわからない感じです。

 

── 小学生の頃からファッションや音楽に興味があったそうですね。

 

中越さん:小学校高学年のときに出会った親友の影響があると思います。彼女がとてもおしゃれだったので、私も一緒に興味を持ちました。学校が終わって帰宅すると彼女と毎日電話するんです。「明日は黒いスニーカーに白いハイソックス。髪の毛はポニーテールね!」と明日のコーディネートを決めて、翌日学校で会うのが楽しみでした。

 

── なかなか充実した小・中時代に感じますが、反抗期はありましたか?

 

中越さん:反抗期というほど激しくはないですが、母親に対して反抗的な態度をとってしまったことはあります。たとえば朝。私が毎朝ギリギリまで寝ているので母が怒るんです。「早く起きなさい!」と母の大声から1日が始まって。慌てて自分の部屋がある2階から階段を駆け降りて急いで準備をしていきますが、その間も母から小言が聞こえると「私は自分で自転車こいで学校に行っとるけん。遅刻するギリギリのラインは自分が一番知っとるけん!」と言い放って、かなり自転車を飛ばして学校に向かってました。朝からよくバトルになってましたね(笑)。

 

── 朝は眠いですしね…。

 

中越さん:早く起きればいいだけなんですけどね(笑)。あと、中学3年生で通っていた塾の授業が21時くらいまであったんですが、その日は授業が終わった後も友達と残って、1時間くらい立ち話をしていたんです。たまたま男の子としゃべっていましたが、その子とバイバイして横断歩道をパッと見たら、対面で母がものすごい形相でこちらをにらんでいるんです。「ワッ…!」と思いながら、無言で母の前を通り過ぎて行きましたが、今でもそのときの母の表情を思い出すと泣けてしまいそう…。当時は鬼!とさえ思いましたが、自分が親になって改めて母には心配かけて申し訳なかったと思います。

 

一方で、母から影響を受けたこともたくさんあります。母は昔から自宅でお花の先生をやっていて、芸術に対して知識も教養もあるんです。母や親友、周りで芸術に関心が高い人たちに囲まれていたからか、私自身も芸術的なものに興味を持つようになって、高校は普通科ではなく芸術科コースがある学校を選んで進学しました。

 

青いインナーカラーがおしゃれな中越典子さん

── 芸術科コースに通ってみていかでしたか?

 

中越さん:楽しかったですね! 1日の中で2時間は絵の授業がありました。美術部にも入っていたので毎日絵を描いていました。周りの同級生は個性豊かで垢抜けている人たちが多かったです。考え方もしっかりしていたし、みんな自分の中に何か熱いものを抱えていて、その思いを絵にぶつけるとか作品作りにいかす人もいましたね。

 

私も元々洋服が好きでしたし、ピアスを開けたり髪の毛はコテを使ってグリグリに巻いてみたり、自分なりにおしゃれも楽しんでました。また、身なりだけではなく規則やルール、自由について考えたのもこの頃かな。好きなことをやらせてもらったし、自分に合ってる学校だったと思いますね。