プライベートでは今年で結婚28年目を迎えた渡辺美奈代さん。自身のYouTubeチャンネルには「もやし君」こと、夫である矢島さんもたびたび登場し、夫婦2人の日常も公開しています。仲睦まじいおふたりの夫婦円満の秘密とは──。(全4回中の2回)
「家庭と芸能活動の両立は無理!」結婚を機に引退を決意
── 96年に結婚されました。当時、アイドルの結婚はタブー視されていた風潮がありましたが、悩んだこともあったのではないでしょうか?
渡辺さん:たしかに、長らく「アイドルが結婚して活動を続けるのは難しい」とされていた時代がありました。私はちょうどデビューして10年目くらいで結婚したのですが、当時は「結婚してもアイドルのお仕事をしていいよ」という風向きに変わる兆しが見えてきた頃でした。
ただ世の中の風潮よりも、「芸能界のお仕事と家庭の両立は難しい」と思っていたので、「結婚を機に引退を考えている」と夫や事務所に伝えたんです。そしたら「辞める必要あるかなと」言われて。夫は私に専業主婦を望んで結婚するわけでもないと、仕事の継続をあと押ししてくれました。
芸能界は生活も不規則ですから食事を作れなかったり、ロケで宿泊となればおうちのことはできなかったりと、思うように家庭を運営できない可能性がおおいにありました。夫婦間では納得していることでも、それが表に出ると「あの家はいつも外食」とか、叩かれる原因になることも想像できました。
そういうことに私自身の家族はある程度、免疫ができていました。ただ夫の家族は一般の方だったので、「迷惑をかけるかもしれない」ということをまず心配しましたね。幸い夫のご両親の理解があったので、仕事の継続を決め、事務所には「子どもができて環境が変われば、のぞむような仕事ができないかもしれないけれど、それでもいいなら続けさせてください」と伝えて了承を得ました。こうして続けてこられたのは周りの人の支えがあってのことなんです。
1度しか言わなかった電話番号を覚えていた夫
── おふたりはどこで知り合ったのですか?
渡辺さん:当時、夫が郷ひろみさんの付き人をしていて、現場で郷さんとご一緒だったとき同じテーブルで隣の席だったんです。郷さんの視線から外れたタイミングで何度も「連絡先を教えて」と言って来たんですよ(笑)。
当時は事務所が厳しく、マネージャーさんがつきっきりでお手洗いの入口まで付き添うほどだったので、男性と知り合うような隙がまったくありませんでした。なので、連絡先を書いたメモを交換するようなことはあり得ませんでしたし、事務所からも、「そういうときは社長の電話番号を伝えろ」と言われていたくらい。
強引な夫に「じゃあ一度だけ電話番号を言います」と本当に一瞬で伝えたんですよ、どうせ覚えられないだろうし、逆に覚えていたらご縁があると思って。そしたら覚えていたんですよ。
あとから聞いたら野球選手の背番号に当てはめて覚えたそうです。普段からそうやってナンパしていたんじゃないかと疑っちゃいますよね?でも、今思えばそれくらい強引なことが無ければ私は男性と知り合うことがなかったでしょうね。息子たちには真似してほしくないですけど(笑)。
── 運命の一瞬を見事に交際につなげた矢島さんはすごいですね!アイドルの交際となると、おつき合いがスタートしてもなかなか表立って会えなかったり、苦労することもあったのでは?
渡辺さん:実は交際をまったく隠していなかったんですよ。5月に知り合って、4か月後の私の誕生日にはすでにプロポーズされていました。仮に世間にバレたとしても、先の分からないおつき合いではなく結婚を決めている相手だったし、いつ芸能界を辞めることになってもいい状態だったんです。なので映画も普通に観に行ったし、海にもディズニーランドにも行ってましたね。ディズニーランドのデートのときはさすがに気づかれそうでしたけど(笑)。
── そしてご結婚されたのが27歳のときでしたね。
渡辺さん:そうです。保証人には郷ひろみさん、仲人には元プロ野球選手の森監督ご夫妻にお願いし、結婚式をしました。実は次の日、テレビ番組『新婚さんいらっしゃい』の地方ロケだったんです。それを三枝(現・桂文枝)さんが知って、「結婚式の次の日に新婚夫婦を引き離してロケに連れ出すのはかわいそう」と夫もロケに連れて行ってくれて。スタッフのみなさんがロケ先のホテルでお祝いしてくださったのは嬉しかったですね。
子どものことで夫婦がたびたび衝突
── YouTubeでのおふたりを見ていると長年連れ添ったご夫婦ならではの息の合った掛け合いから仲のよい様子が伝わってきます。普段、ケンカはしないんですか?
渡辺さん:いえいえ、ケンカはめちゃくちゃしましたよ。子育てのことに関しては特に。それぞれが違う環境で育ってきて、やってあげたいことはお互いにあるし、思いも強くて、子どものことになると2人で話し合うことは多かったですね。息子たちは成人してますけど、それは今も続いています。
── お子さんのことで意見が違うとき、どう解決されてきたのでしょうか?
渡辺さん:そうですね。たとえば幼稚園を決めるとき。いろいろな情報を調べて夫に相談するも意見が割れるわけです。話し合いを重ねて、結局、幼稚園は母親が園と関わる機会が多いから「君の好きなようにしたほうがいい」と彼が折れてくれる形になりました。
子どもが「野球をやりたい」と言い出したときは、夫が行かせたいクラブが親の出番が多いことを知ったんです。役割の比重を夫が大きくしてくれるならそこでもいいよと伝えました。関わる機会が多い人の意見を尊重するような選び方をしてきました。
── なるほど、冷静な話し合いと歩み寄りで解決につながったんですね。夫婦間の普通のケンカでもそうですか?
渡辺さん:そういうケンカのときは、さらにヒートアップしないよう席を立つことが多いですね。家族それぞれが個室を持っているので、部屋にこもって距離を置くようにしています。昔はイラっとしたりもしましたが、今は若くないし、もはや言いあうエネルギーがないんですけどね(笑)。
暴力的に言葉を放ったりはしませんが、ささやかな逆襲をすることはありますよ。晩ごはんがうな重だったとき、息子たちにはウナギのおいしい部位を入れて、夫には残ったしっぽ部分を2つ合わせてひし形にして出したり。くすっと笑えるようなことでやり返すっていう。
でも、なんだかんだ次の日の朝、夫が「ごめんね」と行ってきてくれる展開が多いかな?結局、夫が謝るという形が平和ですね。
── そんな矢島さんは毎日、渡辺さんに「愛してる」と言葉にしているそうですね!YouTubeで「美奈代さんをキレイでいさせることが僕の使命」と言っておられたのも印象的でした。
渡辺さん:「そんなことでキレイは維持できません」とかって、朝からハイハイという感じであしらってます(笑)。結婚当初から「子どもが産まれたらそれどころじゃないんだから」とよく突っ込んだりしてきましたけど、いまだに言い続けていますね。優しいのはありがたいです(笑)。
PROFILE 渡辺美奈代さん
フジテレビの番組 『夕やけニャンニャン』発アイドルグループ 「おニャン子クラブ」 のメンバー(会員番号29番)として一世を風靡。1986年7月、シングル 「瞳に約束」 でソロデビュー。ファーストシングルから5枚連続オリコン初登場1位を獲得し、オリコン記録を塗りかえた。これまでに6枚のアルバム、19枚のシングルを発表。芸能活動と併せて家具やインテリア、アパレルのプロデュース・販売など経営者・プロデューサーとして幅広く活躍。2024年にソロデビューから38周年を迎える。
取材・文/加藤文惠 画像提供/渡辺美奈代