1985年に放送が開始された、伝説のテレビ番組「夕やけニャンニャン」。番組から誕生したアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして活躍した渡辺美奈代さんに、爆発的人気で一世を風靡した当時の様子を伺いました。(全4回中の1回)

応募書類は締切が過ぎていたけど

── まず、芸能界に入ったきっかけを伺えますか?

 

渡辺さん:中学を卒業して高校に入るまでの間「何か習うことができたらいいな」という気持ちで、地元・愛知県にあるタレント養成所のダンススクールに履歴書を送ったんです。締切が過ぎていたことが後日発覚するのですが、スクールの方が連絡くださって「もしよろしければご両親といらっしゃいませんか?」とお声がけくださったんです。

 

養成所に入って数か月の間におニャン子のオーディションを受けることになり、そこからはあれよあれよという間に東京に行くことが決まりました。

 

── 東京へ行くことが決まったとき、ご両親はどんな様子でしたか?

 

渡辺さん:母は何も言いませんでしたが、父は少し反対していましたね。「東京は危険な場所」というイメージが漠然とあって、親族もいない東京に田舎育ちの娘を出すことに不安があったようです。

 

オーディションは「まさか受かるわけがないでしょ?」と誰もが思っていたので、決まってからは時間がなく、バタバタでした。両親も何が正解かわからないまま娘を東京に送り出してしまった、という感じだったと思います。

 

私はただただ嬉しいだけで何の不安も感じず東京へきた感じでしたね(笑)。昔から松田聖子さんにあこがれていたのですが、まさか自分もアイドルになれるなんて思ってもいませんでしたから、デビューが決まったときは現実味がありませんでした。

おニャン子クラブは「学校が優先!」

── 1985年に放送が開始された、伝説のテレビ番組「夕やけニャンニャン」からアイドルグループ「おニャン子クラブ」が誕生しました。そんなおニャン子クラブのオーディションコーナー「アイドルを探せ!」で見事メンバーに選ばれた渡辺さんですが、まさにグループが爆発的な人気を集めていたころ、どのような日常を過ごしていたのですか?

 

渡辺さん:意外に思われることが多いんですが、当時は、朝礼からお掃除まで学校で過ごす普通の高校生でした。「夕やけニャンニャン」の放送は平日の夕方毎日あったので、本当に学校の放課後の部活感覚で参加していましたね。グループの人気に火がついてからはマネージャーさんの車で移動することになりましたが、最初の頃は学校から電車でテレビ局まで通っていました。

 

おニャン子クラブは「学校が優先!」というルールがあって、「学校に行かないと活動には参加できない」と言われていたんです。なので、オーディションを受けるために高校に入った子もいました。番組も学業には協力的で、テスト期間には休みを設けてくれてテスト前1週間は放送に出なくていいと。その間は「この子はテスト期間でお休みです」って番組でアナウンスもされていたくらいだったんですよ。

 

ツインテールがかわいい制服姿の渡辺さん
ツインテールがかわいい制服姿の渡辺さん

── 勝手なイメージですが、芸能活動が忙しすぎて学校もなかなか行けなかったのではと思っていました。両立なさっていたんですね。

 

渡辺さん:芸能活動をしているのでどうしても学校を休まなければならない日があります。なので、事務所と相談して、朝8時登校のところ30分前に登校して補習を受けることで授業の単位を積み重ねておくようにしていました。そういうのもあって3年間でちゃんと卒業できた感じです。 

 

夏休みにはコンサートツアーで地方に行っていましたので、夏休みの宿題はツアー先に持参していました。コンサートが終わると宿で宿題をしていましたし、番組制作スタッフの方のお部屋に行って家庭教師をしてもらうこともありました。制作スタッフには東大出身の方をはじめ、優秀な方がとても多かったんです。ありがたかったですね。

 

おニャン子でいるために、番組に成績表も提出しないといけなかったので、そういう意味では普通の女子高生より勉強していたかもしれませんね。

 

── 約1年半の間、おニャン子クラブの活動をする中で印象に残っていることはありますか?

 

渡辺さん:実は仕事に関しては多忙過ぎて記憶がなくて、忘れていることが多いんです。当時は歌番組が毎日のようにありましたし、アイドル雑誌の数も多かったんですね。どの現場で、何をこなしたかが記憶になくて。

 

常に5~6社の雑誌が密着して取材してくださっていましたし、「撮影に行くよ!」となると1か月にサイパンを何度も往復したりしていました。その現場に各社のカメラと記者が来て、時間ごとに入れ替わって取材を受けたりなんかして。

 

今考えると、どうやってこなしてたんだろうと思います(笑)。帰宅してもすぐにまた仕事でどこかへ行くために移動するというような日々でした。どうやって服を洗濯したり荷造りしたりしていたんだろう…って思いますね。

 

貴重なプライベートショット
貴重なプライベートショット

── 1987年のおニャン子クラブの解散で、変わったことはありましたか?

 

渡辺さん:大きく変わったというほどの感覚は実はなくて。私はおニャン子クラブに入って、半年後にはソロデビューをさせてもらっていたんです。グループとソロと両立しながら1年半くらいお仕事をしていたこともあり、おニャン子が解散となったときは「ソロ活動の一つに絞られたんだな」というイメージでした。その後、ドラマやバラエティ番組などにも出る機会が増え、96年に結婚するまで、芸能活動をひたすら駆け抜けてきた感じでした。

 

── 近年は令和のアイドル乃木坂46とコラボ企画で番組に出演なさったりもしていらっしゃいましたね。ファンの方たちは今も変わらずアイドルとしての美奈代さんを応援してくださっているとのこと。

 

渡辺さん:アイドルコラボの企画などに呼んで頂けるのはとても嬉しいです。デビューから38年くらい経ちますが、おニャン子クラブの時代から変わらず応援してくださるファンの方たちがいて、4年前にファンクラブが復活しました。デビュー当時と同じファンクラブ名で再開してイベントなどをしています。

 

そんな長年一緒に歩んできてくれたファンの方たちは、もはや家族のような存在ですね。これまで支えられて過ごしてきたので、これからの月日はみなさんに喜んでいただけるような何か恩返しができたらいいなと思っています。

 

PROFILE 渡辺美奈代さん

フジテレビの番組 『夕やけニャンニャン』発アイドルグループ 「おニャン子クラブ」 のメンバー(会員番号29番)として一世を風靡。1986年7月、シングル 「瞳に約束」 でソロデビュー。ファーストシングルから5枚連続オリコン初登場1位を獲得し、オリコン記録を塗りかえた。これまでに6枚のアルバム、19枚のシングルを発表。芸能活動と併せて家具やインテリア、アパレルのプロデュース・販売など経営者・プロデューサーとして幅広く活躍。2024年にソロデビューから38周年を迎える。

取材・文/加藤文惠 画像提供/渡辺美奈代