1986年、当時中学3年生で芸能界デビューした立花理佐さん。最近、直腸がんで、自身が闘病していたことを公表しました。がんで亡くなったお母さんの闘病や、支え続けたお父さんについて伺いました。(全4回中の2回)
入院中に取り戻した母との時間
── 最近、立花さんは自身が直腸がんだったことを公表されました。お母様もがんだったそうですね。
立花さん:そうなんです。母ががんになったのは私が28歳の頃。当初、母の病状を知っていたのは父だけでした。直腸がんか大腸がんだったようなのですが、どちらなのかは父が最後まで教えてくれなかったのでわかりません。亡くなったときにはあらゆる場所に転移していたようです。母本人を含め、私も具合がそんなに悪いとは知りませんでした。昔から父は体に悪いところがいろいろあったのですが、母はずっと元気だったので…。
当時私には7年つき合っている彼(今の夫)がいたのですが、母が入院してから父がやたらと私に「早く結婚して、お母さんに晴れ姿を見せてやれ」と言うように。「お母さんが退院しないと無理だよ」と言ったら、ある日、父が突然目の前で泣き出してびっくりしました。父はずっとひとりで母の病気のことを抱え込んでいて、もう限界だったようですね。
── それからはずっとお母様に付き添われていたのですか?
立花さん:母の入院中は関西での仕事を増やしてもらえるよう周囲の方にお願いをし、「宿泊のついでに見舞いに来た」という体にしていました。でも、大阪の病院にお見舞いに行くと、母は「仕事をしに東京に帰りなさい」と言うんですよね。
実は、母と私はお互い気が強いので、さほど仲がいいわけではありませんでした。会うとしょっちゅう喧嘩してしまう。関西の仕事で家から通っていたときも、何時に帰ってくるのか聞いてくるし、それを守れなかったら怒ってしまう。終わりの時間がはっきりしない仕事なんだと説明しても理解してもらえなくて、いろいろとめんどうでした。
でも、当時つき合っていた彼(今の夫)のことを気に入っていて、それで関係が少し良好に。彼に向かって「私と結婚しようよ」と冗談でいうほど、母は彼のことが好きでした(笑)。だから、病院にはまぁまぁ頻繁に通っていました。
入院している間は本当にたくさんいっしょに過ごして、今までいっしょにいなかった時間を取り戻した感じです。でも母の最後の1か月くらいはツラかったのか、あまり記憶にないですね。
母の闘病中、仲が良かったはずの父と大喧嘩
── お父様もかなりつらかったのではないでしょうか?
立花さん:うちの家族は、母は怖かったのですが、父は子どもにとても優しい人で、私だけでなく私の友だちからもとても慕われていました。私は父ととても仲がよく、怒られた記憶もありません。
でも、母の闘病中は家族間がギスギスした雰囲気になってしまい…。父とはよく喧嘩をして険悪になりました。一度、大喧嘩になり、父が私にモノを投げてきたんです。そのまま父は家を出て行ってしまい、連絡もつかないし、どこに行ったかもわからず、よからぬことを考えていたらどうしようと本当に不安になりました。
でも母の病室に行ったら父がいて、何事もなかったようにあっけらかんと「ジムに行っていた」と言うんです。それで私が大泣きしてしまって、母が抱きしめてくれたことがありました。なんていうか、母が病気になってしまったことで、みんな心が病んでしまっていたんでしょうね。
── お母様が亡くなったとのお父様は大丈夫でしたか?
立花さん:私は仕事もあったので、徐々に大阪から東京の生活に戻りました。私の実家には私がいなくてもよく私の友だちが来ていたのですが、親友が闘病中も泊まりこみで父のことを支えてくれて…。入院時はご飯をつくって家で待っていてくれたりと、本当に心強かったですね。母が亡くなったあともそのような状況が続き、周りの人に支えられて、家族関係も徐々に改善していきました。父も少しずつ元気になり、母が亡くなった後にハワイでおこなった私の結婚式にも来てくれました。
父は子ども好きでもありました。私が産後、赤ちゃんを連れて実家に連れて帰ると、起きているときは何も言わないのに、夜に私と赤ちゃんが寝ていると赤ちゃんだけそーっと自分のベッドに連れて行くんです。どうやらいっしょに寝たかったようなのですが、それなら最初から言えばいいのに(笑)。孫のことも可愛くて仕方なかったみたいですね。
そんな父も2015年に亡くなりましたが、葬儀には闘病を支えてくれた友人をはじめ、私の同級生がたくさん来てくれました。昔から私の友達にも優しかったので、改めてみんなから好かれていたんだなと実感しましたね。
PROFILE 立花理佐さん
1971年生まれ大阪府出身。1986年に「第1回ロッテ CMアイドルはキミだ!コンテスト」で優勝し、芸能界デビュー。ドラマ「毎度おさわがせします3」や映画「ビー・バップ・ハイスクール」に出演。歌手としてのヒット曲も多く、現在はバラエティなどでも活躍。
取材・文/酒井明子 画像提供/立花理佐