フリーアナウンサーの小川りかこさん。読者モデルとして活動していた大学時代、華やかなイメージの陰には、ほろ苦い経験もありました。(全3回中の1回)
さみしさに耐えられず、ひとり暮らしに5か月で挫折
── はじめに、読者モデルを始められたきっかけを教えてください。
小川さん:小学校のときの先輩に、大学のキャンパスで再会しまして、その方がアルバイトで雑誌のライターをされていたんです。「撮影に参加してみない?」と声をかけていただいたことがきっかけです。その雑誌とは別に、美容院でもお声がけいただいて、カットモデルとして雑誌の美容ページに出ていました。
もともと好奇心旺盛な性格で、非日常的な体験も、初対面の人に会うことも楽しかったです。
── アナウンサーを志望されたのも同じ理由ですか。
小川さん:そうですね。子どものころからテレビが好きで、10代の頃はエンタメ番組をよく観ていました。いろいろなところへ取材に行ったり、グルメレポートをしたりするのが楽しそう、というイメージがあって。しゃべることが好きでしたし、自分の言葉でみなさんに情報をお届けすることができたらいいな、と思って。就職活動ではアナウンサー試験を受けました。
2社から最終面接くらいのところまで呼んでいただいて、そのうちの1社から地方局への推薦をいただいたのですが…お断りしてしまいました。
── それはどうして?
小川さん:じつは、学生時代に一度ひとり暮らしをしたんですが、あまりにもつらくて挫折した経験があるんです。
当時、私が通っていた青山学院大学は、1・2年生のキャンパスが厚木にありました。実家からだと片道3時間もかかるので、親に頼んでひとり暮らしをさせてもらうことにしたんです。
日中はお友達が遊びに来てくれますけど、実家暮らしの子が多かったので、夕方には家に帰ってしまうんですよ。実家には家族が揃っていてにぎやかに過ごしていたから、夜になると寂しくって寂しくって…。私にはひとり暮らしがどうしても合いませんでした。
もともと食べることが大好きだったのに、ひとりでいるとあまり食べられなくなってしまって。当時、おつきあいしていた人とうまくいかなくなったことも重なり、痩せてやつれてしまって…。「もうムリ」と、実家へ帰ることにしました。
── どのくらいの期間、ひとり暮らしをされていたのですか。
小川さん:それを聞かれると恥ずかしいんですけど、5か月くらいです(笑)。親にも「自分から言い出したのに」と呆れられました。
その経験があったので、地方局のアナウンサーになって、慣れない街でひとりで生活しながら仕事をするイメージがどうしても持てなかったんです。
ひとり暮らしはつらかったんですけど、厚木でのキャンパスライフは楽しかったです。自然が豊かで開放的な雰囲気があって。車で来ている子も多かったので、放課後「海へ行こうよ」とみんなで茅ケ崎の海へ行ったりして、いい思い出がたくさんあります。
就職してあらためて再認識した「やりたい仕事」
── 大学卒業後は、どうされたのですか。
小川さん:実家から通える、音楽関係の会社に就職しました。私が配属されたコンテンツ部は、お店などで流すいわゆる「音のCM」を制作する部署でした。そこで、アナウンサーやナレーターの方と一緒に仕事をするうちに、「やっぱり私は制作よりも、しゃべる仕事がしたい」と再認識しました。
大学時代は、アナウンサーといえば局アナのイメージがあったのですが、社会に出てからフリーでアナウンサーやリポーターの仕事をされている方がたくさんいらっしゃることもわかって。私には、いろいろな人に会えるフリーのほうが合っているのかもしれないな、と思ったんです。
アルバイトをしながらオーディションに挑んだ3年間
── フリーアナウンサーとして再出発されてからのお話を聞かせてください。
小川さん:会社を半年で退職させていただいて、フリーアナウンサーとして事務所に所属しました。でも、すぐにお仕事をいただけるほど、甘くはなかったです。いろいろなオーディションを受けるうちに、お仕事が少しずつ入るようになりました。
オーディションを受けるのは緊張しますが、初めてお会いする方とお話しするのは好きですし、人となりを知っていただいてお仕事をいただけるのはありがたいです。もちろん、選ばれないこともありますが、落ちたら「ご縁がなかったんだな。次、頑張ればいいや」と思えるほうなので、くよくよすることはあまりないですね。
── フリーランスに向いていらっしゃいますね。当初は収入面でのご苦労もあったのでは。
小川さん:もちろんです!最初の頃は、仕事がなかったからほぼ無収入でした。就職したときに月5万円ずつ貯蓄をしていたのですが、半年でやめてしまったので30万円しか貯まっていなくて。それも、友達と香港へ旅行をして、パーッと使いきってしまったんですよね(笑)。
実家に住んでいても、自分の生活費は自分でなんとかしたくて、しばらくは家の近くのアパレル店でアルバイトをしていました。
今でもよく思い出すのが、ケーブルテレビで月1回のレギュラーの仕事が決まったときのことです。初めてお仕事をした翌月、ギャラが振り込まれるのを楽しみに銀行へ行ったんです。そうしたら振り込まれていなくて。事務所に問い合わせたら「あまりにも額が少なかったので、翌月にまとめて振り込みます」と言われました(笑)。
── フリーアナウンサーとして、ご自身が「やっていける」と思われたのはいつ頃ですか。
小川さん:25歳のときです。フリーランスになって3年目の頃ですね。ケーブルテレビのキャスターの仕事が週1回、千葉テレビのキャスターの仕事が週3回決まりました。同じ頃、単発でもリポーターの仕事が入り始めて、自分のなかで「フリーでやっていけるかも」という実感を持つことができました。
PROFILE 小川りかこさん
フリーアナウンサー、『BS11宝くじドリームサテライト』のキャスター、ナビゲーター、リポーター、イベントの司会など幅広く活躍。2008年にアロマテラピーの資格を取り、日常に取り入れている。1児の母。
取材・文/林優子 画像提供/小川りかこ