サッカー元日本代表・大津祐樹選手のジュビロ磐田への移籍に伴い、静岡県浜松市へ転居したテレビ朝日アナウンサーの久冨慶子さん。待望のお子さんと新生活を送るなか、大津選手が突然の病に襲われました。闘病を乗り越えた今だから明かせる、当時の心境とは。(全4回中の3回)
土井先生のレシピが大津選手の勝負メシ
── 食事面で気をつけていることを教えてください。
久冨さん:夫から要求されることはあまりないのですが、食事を作るときはバランスに気をつけています。主菜は2種類、お魚とお肉にして、必ずサラダを作って、余裕があるときは副菜を増やしてなどは考えていますね。試合前は消化のいいものにしようとかキノコを使うのはやめようとか、本当にちょっとしたことなのですが気をつけています。家にドレッシングは置いていなくて、サラダを食べるときは粉チーズとオリーブオイル、塩とオリーブオイルなどを使うようにしています。
手の込んだ料理は全然作らないです。お肉、お魚、野菜をフライパンで焼いてお塩を振るだけとか、簡単なものが多いです。本当に時間がないときは主菜の片方をお刺身にするなど、あまり無理をせず、だけど栄養とバランスがいいものをと考えています。
「おかずのクッキング」で土井先生に教えてもらったレシピの中から作ることもあります。特に豚肉のしょうが焼きは、夫が試合前日に食べるメニューになりました。先生のしょうが焼きはとてもシンプルなのですがおいしくて、頭の中にレシピが入っています。
── 仕事や育児で、思い通りに料理ができないこともありますか?
久冨さん:あります、あります。夫がマリノスにいた産前は、私が仕事で夕食をあまり作ることができなくて、その代わり、出社前に朝食を作って置いておくようにしていたんです。夫が「そうしてほしい」と言っていたわけではなく、本当は支えたいけれどこれぐらいしかできないという気持ちから、私が意地になってやっていました。
逆にジュビロに移籍してからの産後は、産休中で家にいたのでお料理自体はできましたけれど、それぞれの段階でやはり大変だなと思うことがありました。息子が小さくて動けないようなときはまだ作りやすかったのですが、動けるようになったらそれはそれで大変になったり、最近だとスーパーにたどり着くまでが難しかったりします。
── 今はどのような場面が一番大変ですか?
久冨さん:スーパーへ行く途中に家電量販店があるんです。息子は店内のおもちゃ売り場が大好きなので、視界に入ると「行きたい!」となってしまうし、一度行ってしまうと「おもちゃを買ってほしい!」、「ミニカーを買ってほしい!」と始まって、お店から出られなくなってしまうんですよね。
時間に余裕があるときは寄ることもあるのですが、スーパーの帰りに寄ると滞在時間が長くなって食材が傷んでしまう心配があるので、帰りは行かないようにしています。先にスーパーで買い物をしていったん帰宅して食材を置いてから「そのあとに一緒に行こうね」と提案するときもあります。
おもちゃを買う・買わないも難しいですね。最近買いすぎだなと思って「この前買ったよね」と言うときもありますし、ときには私のほうがこのミニカー限定品でいいなと思うときもありますし(笑)、いろいろと悩みながらやっています。
「大津、動きます」タオル完売にこぎつけた夫
── 家庭内でサッカーの話題が出ることはありますか?
久冨さん:練習内容などの話はあまり聞かないですが、プレーだけではなくて、チームを盛り上げるためにはどうしたらいいかということをいつも考えて、動いている姿は見てきました。
例えば、マリノスが優勝した年に「すべてはマリノスのために」というワードを作ったのが夫でした。このワードがプリントされたタオルマフラーは、最初は黒い生地に金色の文字だったんですね。それもすごく素敵なタオルマフラーだったのですが、黒色は黒星を連想させてしまうからか、サポーターの方から「チームカラーのトリコロールでも作ってほしい」というリクエストがあったみたいなんです。そのときに夫が「大津、動きます」みたいなことをSNS上でつぶやいて、チームに掛け合って、チームの人も頑張ってくれて、トリコロールのタオルマフラーが出来上がったことがありました。
その後、夫は「大津、動きました」、「次はサポーターの番です。動いてください(笑)」、「このタオルマフラーが最終節たくさんの人に掲げられることを楽しみにしています」というつぶやきをして、無事に優勝したというエピソードがあります。
ジュビロ磐田へ移籍してからも、グッズについて「もっとこうしたほうがいいと思います」みたいなことをスタッフの方へ電話で掛け合っている様子を見ることがありました。ジュビロのかわいいタオルマフラーやバスタオルを売るときも、「もしこれが何日以内に何枚売れなかったら、大津は自腹を切ります」というような企画を出していました。
夫の動きにチームメイトも賛同してくれて、サポーターの方々も協力してくださって今までにないくらいに売れて、完売したみたいです。普通はみんな「こういうのやりたい」と提案したときに、周りや上の人が「いや、これは難しいよ」と言ったら「わかりました」となることもあると思います。でも夫には、サポーターの皆さんを一緒に盛り上げて、今までになかったことを動かす力があるのだなと改めて感じました。
── ジュビロ磐田のJ1昇格にもつながったかもしれないですね。
久冨さん:そうだとうれしいです。夫はチーム内でもよく話してコミュニケーションを取っているみたいです。チームが試合に勝ったときはもちろん喜んで帰ってくるのですが、負けたときも家では重い空気にならないようにしてくれています。
夫はいつも明るいんですよね。本当はたぶん苦しいことや大変なこともたくさんあると思うのですが、それを全然家に持ち帰ってくるタイプではないんです。家族だから、たまには当たってくれてもいいのになと思うくらいです。
── 行動力のあるご主人に、久冨さんが相談することもありますか?
久冨さん:そうですね。私は今アナウンサーのカレンダーを告知する担当の一人でもあるので、どのように告知したらいいのだろうかと相談をしたことがありました。すると、マリノスやジュビロでのタオルマフラーの話をされて、「そうやって諦めていいの?周りから無理だと言われるようなことでも、挑戦することが大事なんだよ」と言われたことがありました。
私は意外と短気なので、自分から相談したにも関わらず歯向かってしまうこともあるのですが(笑)。でも夫は実現しているなと納得もして、「じゃあ、もうちょっと新しい展開ができないかやってみるよ」という結論に至ったこともありました。困ったときはアドバイスをもらいつつ、アドバイスをもらいにいったのに私がイライラしてしまうこともありますが、夫ほどポジティブでパワフルになるのは大変だと思うので、とても尊敬しています。
「耳がおかしい」その日のうちに入院することに
── ピッチ内外で活躍されていたときに、大津選手のご病気が見つかりました。罹患の経緯を聞かせてください。
久冨さん:ちょうど夫がオフの日に、起床してすぐ「耳がおかしい」と伝えてくれました。突発性難聴という病名だけは知っていたので、もしかしたらと思ってインターネットで検索してみました。すると早く病院に行ったほうがいいという情報を見つけたので、すぐに近所の耳鼻咽喉科へ行くよう勧めました。発覚して数時間以内に受診したと思います。
突発性難聴かもしれないと思っていたので診断結果自体には驚きませんでしたが、その日のうちにすぐ「大きな病院で入院するように言われた」と報告があって。思ったよりも重症だと分かり、心配と不安でいっぱいになりました。
── 入院治療中はどのようにサポートされたのですか?
久冨さん:息子に会うことが何よりも夫のパワーになるのではないかと考えて、入院中はなるべく息子を連れて会いに行っていました。当時まだ1歳だったので、いつもと変わらずニコニコとしていて、それも大きな力になったのではないかと思います。私はいろいろな方からお話を聞いたり自分で調べたりして、入院治療以外にも治療方法がないかと、とにかく情報を集めました。
周りにも夫ほどの重い症状ではないものの突発性難聴になったことがある方が何人かいて、治療方法などを教えていただくこともあったので、夫にもシェアしました。
片耳が聞こえない以外に、耳鳴りで眠れないことも多かったようで、本当につらかったと思います。本人は振り返るとそんなつもりはなかったようですが、いつもポジティブで明るい夫が絶望的な表情をしているように見えて、こんな姿を見るのは初めてでした。今後のサッカーよりも、夫がこれからどうやったら明るい気持ちで生活できるようになるだろうかと、初めてメンタル面が心配になったのを覚えています。
入院治療中は聴力が完治しなかったので、退院後に東京で鍼治療と高圧酸素治療などを始めるようになり、息子と私も時々東京へ会いに行きました。入院治療していた病院では「治らないと思う」と言われていたのですが、無事に聴力が回復して、先生も驚いていたそうです。
今だから言えることですが、私は毎日家で泣いていました。耳が聞こえないことよりも、夫の気持ちが心配でたまらなかったんです。治療していただいた先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。
PROFILE 久冨慶子さん
2012年にテレビ朝日へ入社し、「おかずのクッキング」や「やべっちF.C.」、「グッド!モーニング」などを担当する人気アナウンサーに。2018年にサッカー元日本代表・大津祐樹選手と結婚し、2021年2月、男の子を出産した。大津選手のジュビロ磐田移籍に伴って静岡県へ移住し、現在は新幹線通勤をしている。
取材・文/長田莉沙 画像提供/久冨慶子 ※記事は2023年11月に取材したものです。