両親の離婚で幼少期から父子家庭で育った完熟フレッシュ・池田レイラさん。小学生のときに出場したM-1で注目を集めるも、高校生で反抗期が訪れて。(全3回中の3回)

高校時代は門限20時でした

── 池田さんにとって、お父さまはどんな存在ですか?

 

池田さん:優しいながら、私の中では父の存在は絶対でした。自分が余計なことを言って、父の気持ちを害さないようにしていたと思います。

 

── 門限もあったそうですね。

 

池田さん:小学生の頃はもちろん、高校生の時は夜8時が門限でした。友達はみんな門限がないのになぜうちだけ?と父に不満を伝えつつも、守っていましたね。とはいえ、友達と出かけて遅くなる時や泊まるときは、あらかじめ父に伝えておけば柔軟に対応してくれていました。

 

ただ、一度だけ父に連絡せずに門限を破ってしまい、外に閉め出されたことがありました。30分ほど家の前のベンチに座ってボーっとしていたら、父がソワソワしながら出てきたんです。私が悪びれもせず「うす!」と声をかけると、無言で玄関の中へと消えていきました。私も続けて家に入りましたが、父の優しさに甘えながら、無駄に横柄な態度をとってしまったなと今となっては反省しています。

今まで口にしなかった言葉まで発して

池田レイラ
お誕生日はケーキでお祝い!

── 反抗期はありましたか?

 

池田さん:高校生の頃にありました。父が言うことなすことすべてに「それは違うよね?」と反抗的な発言をするようになったんです。さらに「うざい」とか「むかつく」「気持ち悪い」などの、今まで口にしたことなかった言葉まで口にするようになりました。反抗期って自分でもなんでこんなにイライラしているんだろうと思いつつも、止められないんですよね。

 

── お父さまの反応は?

 

池田さん:私が父にあたって「まじキモイから話しかけないで」と言っても「なんで?」と軽いノリで返されてました。私の返事の仕方でイラっとしたこともあったと思います。それでもいつも怒らずに、笑いで解決してくれました。今考えれば、私が子ども過ぎただけですが、父はうまくつき合ってくれたように思います。

仕事がゼロになって

池田レイラ
大学の入学式に父と

── お父さまは父親でもあり、芸人としては相方でもあります。レイラさんがM-1に出てから、父と娘の関係に変化はありましたか?

 

池田さん:私が高校に入学した年に、コロナウイルスが猛威を振るいました。決まっていた仕事がゼロになったあたりから、父との関係が少しずつ変わっていったと思います。芸人としての仕事の会話がなくなったり、私の反抗期も重なって、自分自身を見つめ直す時間ができたんだと思います。父に対しても、父と娘の距離の取り方を模索していた時期だったかもしれません。

 

── コロナ禍の3年間は、どのように過ごしていましたか?

 

池田さん:仕事が減って、焦りや不安を感じたこともありました。仕事に関しては暗黒の時代ですね。ただ、せっかくの高校生活なので、あれこれ悩まず勉強や遊びに全力投球することにしたんです。コロナ禍が明けて仕事に復帰した時、ファンの方たちに3年間で池田レイラは成長したと感じてもらえるよう自分の時間を充実させました。

 

── 高校3年間の変化は大きいですね。

 

池田さん:見た目も少し大人になったかもしれません(笑)。以前はおかっぱ頭だった髪型から少し変えて、メイクも研究して、ちょっとお姉さんぽい感じになるようにしました。コロナ禍で仕事を離れる時間ができて、芸人としての活動はもちろん、芸人以外の仕事にも興味を持ち、高校3年生のときに演技のお仕事にも挑戦させていただきました。

 

小学校6年生でM-1に挑戦するとき、父から芸人の仕事はレイラが将来やりたい仕事につながると言われたことがあります。父の言葉通り、演技に挑戦できたのはお笑いをやっていたからこそ。あの時の父の言葉は本当だったなと、今改めて感謝しています。

 

── お父さまに対して、今どう思いますか?

 

池田さん:父に対しては、「自分のこと好きすぎ!」とか、「価値観が合わなくて理解できない。変な人!」と思うことも正直あります。でも、父は素直で曇りがなく、本当に明るいんです。悪く言えば子どもっぽい(笑)。私の反抗期はあったものの、両親が離婚して二人暮らしを始めてから、年々父に対しての信頼度は厚くなってきたように思います。

 

PROFILE 池田レイラさん

東京都出身。父で相方の池田57CRAZYと、親子お笑いコンビ「完熟フレッシュ」として活動。現在、芸能活動のかたわら大学に通い、仕事と学業を両立。

 

取材・文/間野由利子