「はなまるマーケット」などの人気番組を担当し、結婚を機にTBSを退社した海保知里さん。結婚後も仕事を続ける女性が増え始めた時期でしたが、「まったく後悔はなかった」と振り返ります。(全4回中の2回)
自信をなくしていた新人アナウンサー時代
── 1000倍もの倍率を突破して、TBSに入社されました。
海保さん:狭き門を突破して入社したものの、念願だったラジオの仕事もうまくない、テレビのリポートもうまくない…やりたい仕事に挑戦させてもらっているのに、自分の力量のなさに直面するばかりで、入社後しばらくは「向いていないんじゃないか」と落ち込んでいました。
そんなとき、大事なテレビ番組のアシスタントを打診され、すっかり自信を失っていた私は「できません」とお断りしてしまったんです。すると、「そんなに消極的だと、必要とされなくなるぞ」と普段は優しい上司に叱られました。
「このままじゃダメだ」と思い、「いろんな仕事に挑戦したら、向いている仕事が見つかるかも」「場数を踏まないとうまくならないのかな」「テレビにたくさん出て顔を覚えてもらえたら、いつかラジオのパーソナリティができるかも」と、気持ちを切り替えるようにしました。
── 気持ちを切り替えるよう心がけて、変化はありましたか?
海保さん:入社2年目あたりから、得意不得意に関わらず積極的にいろいろな仕事に手を挙げるようになり、入社3年目で「サンデー・ジャポン」や、単発の深夜番組のスタジオ進行を担当することになりました。
スタジオ進行は、制作サイドと出演者をつなぐパイプラインのような仕事です。サンジャポの場合は耳にインカムをつけ、制作サイドの指示を聞きながら臨機応変に番組を進行するのですが、番組でのお手伝いがうまく成立したときの喜びは大きく、やりがいを感じました。
ほかにも、「はなまるマーケット」で、得意の英語で海外の著名人にインタビューする機会をいただけたのは一生の宝物です。ジョディ・フォスターやウィル・スミスなど、憧れのスターにお話を伺えた経験は、私にとって大きな財産になりました。
大活躍の陰で「そういえば生理がきていない」
── アナウンサーとして、充実した毎日を送られていたのですね。
海保さん:充実していたのですが、収録やロケ、生放送への出演や事前準備の勉強で忙しく、睡眠時間も足りなく、3か月も生理が止まってしまったことがありました。会社の健康診断はきちんと受けていたのですが、体調が悪く「そういえば生理がきていない」と気づき上司に相談しました。
── すぐに相談できる職場環境でよかったですね。お仕事はすぐ調整してもらえたのですか?
海保さん:はい、すぐにスケジュールの調整を検討いただくことができました。アナウンス室は、普段から困ったことだけでなく、嬉しいことや些細なことも気軽に共有できる環境でした。
「この番組を担当することになりました」と話すと、「こういう資料を読んでおくといいよ」と先輩方が助言をくれました。忙しい中メモやメールで生放送での間違いを教えてくれたり、ニュース読みの個別指導をしてくれたりもしました。テレビの制作でもラジオでもみなさん親身に考えてくださるし、いただいたアドバイスはすべて実行していました。
── 海保さんが素直に助言を受け止めるからこそ、周囲の人から可愛がられたのだと思います。
海保さん:いやいやいやそんなことないです。ちなみに母からもアドバイス…というかダメ出しをもらっていました(笑)。職場の方々からのアドバイスは一生懸命聞きますが、母からのダメ出しはありがたい反面、当時は煩わしく思ってしまい、一度「いま余裕がないから、FAXで送っておいて」と言ったことがあります。すると本当に長文のFAXが送られてきて驚きました。今でも母との笑い話のひとつになっています。母は本当に私のことが心配だったんだと思います。
寿退社は人生の第二章のため
── 2008年にTBSを寿退社されましたが、仕事が充実するなかでの決断に迷いはなかったのでしょうか。
海保さん:当時、TBSでさまざまな経験をさせていただき、「アナウンサーとしてやりきった」と、どこかで思っていました。あと、やる気に満ちあふれた後輩アナウンサーたちと接していると、「私は守りに入っているな」とも感じていて。そんななか、交際1年で夫からプロポーズを受け、「アナウンサーを辞めてもいい」と思いました。
運良くTBSに入社してから、なんとか自分のポジションを確立しました。でも、よく考えれば自分がいま就いているポジションは、先輩たちから受け継いだもの。今度は私が後輩たちにつなぐことで、誰かがやりたい仕事に巡りあえるかもしれないと考えました。
私自身、当時はアナウンサーとしてキャリアを積むより、夫としっかり向き合って家庭を築きたかったし、自分のなかに新しい風を入れたかった。私が辞めることで、後輩アナウンサーたちにポジションを譲ることができ、私も人生の第二章をはじめることができるなら、会社と私の双方にとってwin-winな決断だと思いました。だから、退社に際して後ろめたい思いはなかったです。
── 退職後、フリーアナウンサーやタレントへの転向は考えなかったのですか?
海保さん:大手事務所に所属してフリーになることは、今まで育ててくれたTBSへの不義理になるとその当時は勝手に思い込んでいて、まったく考えませんでした。ただ、退職当初はもともと抱えていた連載などのお仕事があったり、日本とのやり取りを自分でするのが大変でした。
ちょうどその頃、はなまるマーケット時代にお世話になった方から声をかけていただき、「この人の元なら、古巣への恩をお返しできる」と考えました。いまもその方の事務所に所属して活動を続けています。
── 今も当時のご自身の決断に、満足されていますか。
海保さん:人生には、いろいろなフェーズがあっていいと思うんです。ひとつのキャリアを突き詰めなければならないわけではないし、仕事を優先する時期があれば、家庭を優先する時期があってもいい。あのとき退職したからこそ、いまは家庭とバランスを取りながら仕事ができているし、あの頃よりも渦の中にいない分、メディアを客観視できているような気がします。
PROFILE 海保知里さん
1999年TBSにアナウンサーとして入社。「サンデー・ジャポン」や「はなまるマーケット」などで活躍。2008年にTBSを寿退社し、アメリカで出産・育児を経験。現在は、日本で2児を育てながら、絵本の読み聞かせをライフワークに幅広く活動している。2023年10月よりYouTubeにて全編英語による日本観光ガイドチャンネル「Travel Japan」のナビゲーターも務めている。
取材・文/笠井ゆかり 画像提供/海保知里