芸能界に入って今年で60年となる井上順さん。16歳で「ザ・スパイダース」のボーカルとしてデビューした経緯には意外な偶然が重なっていたといいます。その後も人の縁から活躍の場を広げた井上さんが今、思うことは。(全4回中の3回)

「立ってるだけでいいから」と声をかけられて

── 井上さんは16歳でザ・スパイダースのボーカル、最年少メンバーとしてデビューしていますが、もともと芸能界に興味はあったのですか?

 

井上さん:芸能界に特別興味があったわけじゃないんです。テレビはアメリカの番組が大好きで、よく観ていました。小さいころと変わらず、見たものを家族の前でボディランゲージするような子どもだったので、母親がこの子は何か表現することに向いてるんじゃないかと思ったみたい。『六本木野獣会』というミュージシャンや俳優、デザイナーなんかを目指している若者の集まりに連れて行ってくれたんです。13歳のときでした。

 

── しゃれたお母様ですね!

 

井上さん:ははは。母はバリバリ働いていて、人脈も広かったんです。そこでは僕よりちょっと年上の人たちが楽器片手に洋楽を演奏していて「カッコイイな~!」と衝撃を受けましたね。すぐに入会して、それから放課後になるとたまり場に行っては、歌ったり楽器を演奏したりして遊んでいました。

 

井上順さん
デビューしたての井上さん。20歳ごろの一枚

── 13歳でその活動は、かなり早熟ですね。

 

井上さん:僕はいちばん年下でした。メンバーからはいろんなことを教わったけれど、なかでも俳優の峰岸徹さんが弟のように可愛がってくれました。峰岸さんが「順はプレスリーを歌え」なんて言うので、音楽学校で歌を勉強したことも。でも歌手になろうとは思わなかった。みんなが演奏してくれるから歌えるようにならないと、という感覚でした。

 

高校生になると野獣会のメンバーとバンドを組んで、銀座や新宿のジャズ喫茶で歌っていたんですが、あるとき「スパイダース」の田邉昭知さん(芸能事務所・田辺エージェンシーの現社長)が声をかけてくれたんです。当時、ポップス系はなかなか売れず、田邉さんと(同メンバーの)かまやつひろしさんは海外の人気グループをモデルに、新しいスタイルを模索していました。

 

そこに俳優として注目されていた堺正章さんたちが入って6人揃ったんだけど、ちょっと見た目が地味だった。それで、僕は客寄せパンダ的な感じで「立ってるだけでいいから」と言われて(笑)。

 

1963年だったかな、日本のグループ・サウンズは海外のヒット曲をカバーしていた時代にかまやつさんがオリジナル曲を作り始めて、そこからだんだん日本の音楽シーンに広がっていったんです。

 

── すごい! スパイダースが日本のポップスのレールを敷いたんですね。

 

井上さん:特にかまやつさんはアイデアマンで、衣装をメンバーの個性に合わせて変えたり、歌いながら踊ったりすることも中心になって考えたんですよ。当時の日本では画期的だった。

 

井上順さん
かまやつさんの七回忌にザ・スパイダースの衣装で

トークが上手くなったのは堺正章さんのおかげ

── 井上さんは堺正章さんとツインボーカルで、おふたりでMCも担当されていましたよね。コミカルなやりとりが今と変わらず、驚きました。

 

井上さん:ははは。最初は堺さんがひとりでしゃべっていたんです。あるとき堺さんが僕に話を振ってきたから返したら、うまい具合に嚙み合ってお客さんが盛り上がって。それがきっかけです。トークに笑いを取り入れるようになったのは、堺さんのおかげなんですよ。

 

── 井上さんや堺さんはスパイダースで活躍しながら、ソロでドラマ出演もされていました。

 

井上さん:それは実は、田邉さんのアイデアなんです。音楽活動を続けるうちにだんだんメンバーの方向性が変わっていって、僕らはお芝居もいいんじゃないかと思ったみたい。

 

僕のことをお茶の間の方たちが広く知ってくださったのは『ありがとう』という平岩弓枝先生原作のドラマなんですが、実は実家がご近所で。その平岩先生から「くみんの広場」の実行委員長に指名していただいたことを考えると、人とのご縁の不思議さを感じます。お芝居はまったくゼロのところから始めましたが、ザ・スパイダースが解散してからも声をかけてくださる方がたくさんいて、今がある。本当にありがたいです。

 

井上順さん
今や「渋谷区名誉区民」として渋谷の街のPR活動も

人気音楽番組で「始末書」を書かされた理由

── 私の世代では、井上さんというと『夜のヒットスタジオ』の名司会者という印象が強いです。一緒に司会をしていた芳村真理さんとの軽妙なやりとりが絶妙で、子どもでも楽しめました。

 

井上さん:『夜ヒット』は生放送で生演奏、フルコーラスが基本の番組なので、出演者の緊張感たるやすごいものがありましたよ。さらに新曲を初披露する場でもあったから、新人さんなんてガチガチになっちゃう。僕は歌手なので、緊張だけじゃなく、こういうところを聞いてほしいとか歌手の気持ちがわかる。だから、台本に書いていない情報をリハのときに出演者と話しながらリサーチして、新しいソースを加えてやっていました。それで少しでもリラックスしてくれたらいいなと思って。

 

── 確かに井上さんのトークを聞いて、誰もが笑顔になっていた気がします。

 

井上さん:毎回、芳村真理さんの衣装が素敵でねぇ。歌手の方たちより派手(笑)。アルマーニやエルメス、クロエなんかを着てるんだけど、立場上、本人はブランド名を言えない。でもせっかくこだわっておしゃれしてるんだから、触れてほしいじゃないですか。だから、さりげなく僕が話題にしていたんです。

 

「真理さん、今日アルマーニ?」って聞いたときの真理さんの輝く目ときたら(笑)。スポンサーに衣服関係がなかったので言えたんだけど、放送が終わってからプロデューサーに始末書を書かされました。でも、そのプロデューサーの目が笑ってるんですよ。で、懲りずにまたやっちゃう。

 

── 井上さんはいつもどこへ行っても、愛されキャラだったんですね。

 

井上さん:この世界に入って60年。歌番組やドラマ、バラエティと日本を代表する作品にたくさん出させていただけたのは本当に幸せなこと。今までもこれからも、感謝の気持ちを忘れずにいたいです。

 

PROFILE 井上順さん

1947年東京都渋谷区生まれ・在住。16歳でザ・スパイダースのボーカルとしてデビュー。軽妙で気さくな個性を活かし、歌、芝居、司会、舞台など多方面で活躍。2020年1月、渋谷区名誉区民に顕彰。同年4月に開設したX(旧Twitter)が幅広い層から人気を得ている。著書に『グッモー』(PARCO出版)がある。

 

取材・文/原田早知 写真提供/井上順