だから私は今、ここに来ています

── その後は早稲田大学に入学されました。この時点でも、アナウンサーを目指されていたのでしょうか。

 

吉川さん:当時、ジャーナリストは早稲田大学出身が多かったんです。アナウンサー、しかも報道系アナウンサーに憧れていたので学ぶことが多いと思い、進学しました。学生運動が全盛期の頃だったので校内は荒れていましたが、2年目の夏あたりからやっと落ち着いてきました。そして就活。TBSはそれまで9年間、女性アナウンサーの募集はありませんでした。ところが、私が就活を始めたその年に女性アナウンサー募集が再開したのです。

 

── とはいっても狭き門ですよね。確か倍率は300倍だったとか。不安はありませんでしたか?

 

吉川さん:そこは「絶対にアナウンサーになる」、その一択でしたからね。自分を信じるしかないですよ。ただ、それだけ準備はしました。とくに筆記試験は誰にも負けないくらいに!

 

── アナウンサーのテストはどんな問題が出るんですか?

 

吉川さん:アナウンサーは広く浅く、さまざまなことを知っておくべきなんです。スポーツ、芸術、科学、時事問題などあらゆる分野の設問がありました。たとえば、左側に「三島由紀夫」「ゴッホ」など人物の名前が書かれ、右側に「金閣寺」「ひまわり」などの言葉があり、人物にかかわる言葉と結ぶというようなもの。さらに時事問題についての設問もありました。筆記試験のためにあらゆる分野の勉強をしたし、新聞も隅から隅まで毎日読んでいたので、どれも答えられました。筆記試験は断トツのトップだったと、入社後にアナウンス部長から聞きました。

 

── 筆記の後はついにカメラテストということですね。

 

吉川さん:カメラテストは実際のテレビスタジオで行われ、3台のカメラと3人の面接官がいました。まず1分の自己紹介をしてからの質疑応答です。名前を呼ばれてスタジオに入ると、面接官の中に見覚えのある人が…それが山本アナでした。これは導かれているなと思って、用意して覚えていた自己紹介をやめて、「実は、私がアナウンサーを目指したのは中学校3年のときです」と「こども音楽コンクール」のエピソードを即興で述べました。そして「山本アナウンサーが、未来の吉川アナウンサーですね、とおっしゃってくださいました。それを信じて私は今ここに来ました」と。もちろん、これだけで合格するほど試験は甘くありませんが、印象に残ったはずです。

 

── 対応能力の高さも認められたのでしょうね。

 

吉川さん:後日、山本アナとあって面接のときの話になったんです。すると「あんなことを言われたら、俺は二重丸をつけるしかないよ」って笑ってくれました。こうして私は、念願のアナウンサーになったんです。

 

PROFILE 吉川美代子さん

1954年生まれ。1977年にTBS入社し、以後37年間アナウンサーとして活躍。TBSアナウンススクール校長を12年間務めた。2014年に定年退職するも、その後も精力的に活動中。

 

取材・文/佐々木翔