96年にSPEEDとしてメジャーデビューを果たした島袋寛子さん。仕事は多忙を極めながら、沖縄から東京の小学校に転入しました。学校ではどのように過ごしていたのか。勉強と仕事の両立はどうしていたのでしょうか。

「漢字勉強して」「ドリルやって」と言われて

── 96年、島袋さんが小学校6年生の夏休みにSPEEDがメジャーデビュー。デビュー曲『Body &Soul』から話題となりましたが、急激に世界が変わっていったのでしょうか?

 

島袋さん:急だったと思います。どんどん仕事が入ってきて、次から次へとスケジュールが埋まっていきました。それまでは、仕事のたびに沖縄から東京に来ていましたが、夏休み明けから東京の小学校に転入することに。私立ではなくて、普通の区立の男女共学の学校がいいって、ちょっと駄々をこねました(笑)。

 

── あえて区立の学校を選ばれたと。ただ、『Body&Soul』がヒットして活躍されている方が、突如、学校の生徒として転入してきたということですよね…?

 

島袋さん:はい(笑)。芸能人が何人かいるような学校でもなく、ごく普通の学校でした。それに、自分も直前にデビューしたものの、自分たちがどんなふうに世間に映っているか、どんなことになっているのかわからない状況で。みんなと仲良くなれるのか。訛りが出て変に思われちゃったらどうしようとか、いろいろ心配したら怖くなって、お腹が痛くなっちゃったんです(笑)。登校初日はクラスには行かずに、校長先生に挨拶だけして帰りました。

 

翌日からクラスに行ってみると、みんなが私の周りに集まってきて、SPEEDの活動の話とか聞いてくれたり、優しく迎え入れてくれてホッとしながら、あぁ、自分たちの活動は、今こんな感じで思われてるんだって、そこで初めて今の状態も知りました。

 

SPEED時代、カメラ目線で微笑む島袋さんの貴重なオフショット

── 常に多忙だったと思いますが、学校に行く時間や勉強する時間はありましたか?

 

島袋さん:「学校は毎日行くこと」と事務所から言われていたので、毎日登校はしました。朝は学校に行って、昼からお仕事に行く感じ。勉強は仕事の忙しさを理由に「もう、なんか無理…!」って思いながら、ユルユルやってたんですが、家族とか従兄弟のお姉ちゃんが東京に出張とかきたときに、すごい言われるんですよ。「漢字勉強して」とか「ドリルやって」って。私も「アーー!!」とか言いながら机に向かってました(笑)。

 

メンバーだと、(今井)エリがちゃんとやるんですよ。エリとツインボーカルで一緒にレコーディングに入ってたんですが、宿題終わってないと言われるから、やったフリをしてました(笑)。

 

── 忙しいですし(笑)。では、学校行事もなかなか参加できなかったのでは?

 

島袋さん:修学旅行は行かなかったですね。人がたくさん集まってきてパニックになったらっていうのもあったし。他のメンバーでは、しっかり参加してた子もいました(笑)。

 

学校もはじめは歩いて登校していたんですけど、写真週刊誌に撮られてからは車で送り迎えしてもらうことになりました。学校側も芸能人の迎え入れの体制ができていない普通の学校だったので、先生たちもかなり大変だったと思います。皆さんにはすごくお世話になったし、迷惑をかけたと思います。

自分の支えになってくれた大事な人

── 学校でゆっくりする時間も少なそうですが、お友達とかできましたか?

 

島袋さん:みんな仲良くしてくれましたが、深くなるまではなかなかいかなかったですね。そのなかでも、小学校6年生のときに出会った1人、あと中学のときに出会ったもう1人はいまだにいい関係が続いています。小学6年のときに出会った子は今でも親友ですが、初めて彼女を見たときから、初めてじゃない気がしたんです。中学に入ってよく話をするようになると、彼女がとても素敵な方で理解があって。私はすでに働いていたけどやっぱり特殊な世界にいたと思うので、「私の感覚、大丈夫?世間とズレてない?」って彼女に全部聞いてました。

 

SPEEDを解散して外に遊びに行けるようになっても、彼女とは仲良しで。彼女に今日遊べるかどうか聞くと、「今日遊んでいるお友達は、大丈夫なお友達だからおいで」って言って守ってくれたり。特に10代、20代の頃は彼女のおかげでとても充実した時間が過ごせたし、安心安全に社会のことを経験できたと思います。

 

── 大事なお友達ですね。ちなみに、SPEEDの楽曲はどれも素晴らしいですが、なかには大人っぽい歌詞もあるかと思います。当時はどのような心境で歌っていましたか?

 

島袋さん:子どもながらに歌詞を理解していたと思います。会いたいとか寂しいとか、恋心って年齢関係なくあると思うし。ただ経験が追いついてないので、大人になってから歌詞の深みだとか捉え方、解釈の幅も広がりますよね。子どもの頃はもっと単純でしたし。

 

でも、実体験が伴ってないからこそ、その年齢なりの子のピュアさみたいなものが歌声に出ていたんじゃないかな。本来はもっとウエットになるところが、ウエットになりすぎなかったところもSPEEDのいいところだったんじゃないかなって思います。

 

当時は、10代の子をイメージした歌詞なら、今みんなこんな感じの歌詞で恋愛してるんだなって覗くような、イメージするような気持ちで歌っていたし、歌詞の意味を想像したり、誰かを思う気持ちを自分のなかに落とし込みながら歌っていたと思います。

 

PROFILE 島袋寛子さん

沖縄県出身。1984年生まれ。1996年SPEEDのメンバーとしてデビュー。1999年にソロデビューを果たし、2000年にグループ解散後も歌手として活動中。2023年3月アルバム「UTAUTAI」発売、7月からHIROKO SHIMABUKURO Live 2023 「0」の開催決定。

 

取材・文/松永怜