「この人、ちょっとムリ!」と思った相手が、後の夫になる「シャ乱Q」のまことさん。「最悪」だった第一印象から、なくてはならない存在になったきっかけとは?

 

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無口で話せば下ネタ…まさかこの人と結婚するとは!

── フジテレビの局アナとして活躍されていた98年に、「シャ乱Q」のまことさんと結婚されました。テレビ番組の旅企画で出会ったそうですが、最初の印象はかなり悪かったとか。

 

富永さん:夫とは、『シャ乱Qの上京物語再び』というバラエティー番組で出会いましたが、最初の印象は「最悪」でした(笑)。1泊2日、大阪から東京までワゴンカーでリアルすごろくをする番組で、彼らは長いツアーの合間の収録だったらしく、ものすごく疲れていて。とくに、彼はサービス精神がないので車内でもまったくしゃべらず、やる気ゼロ。ようやく口を開いたと思ったら、いきなり下ネタ。引きましたね(笑)。

 

── とても恋が生まれる雰囲気ではないような…。

 

富永さん:むしろ、「この人、ちょっとムリ!」と思っていたんです。でも、カメラが回っていないときにぽつぽつ話すようになると、どうやら悪い人じゃなさそうだなと。あまりにマイナスからのスタートだったので、ふつうに会話ができるだけで、急にいい人に見えてしまって(笑)。写メがない時代だったので、後日、焼き増しした写真を渡すことになり、そこから連絡を取り合うようになりました。

 

でも、私は朝の番組で3時半起きの生活で、向こうはレコーディングで寝るのが明け方。生活が真逆の2人だったので、なかなか会えませんでした。

 

── 会えない2人がどうやって交際を深めたのですか?

 

富永さん:ファックスでやりとりをしていました。朝、起きると、ファックスが届いていて、「今日も頑張ってね!」などと書かれていて。それを読んでから仕事に行くのが日課でした。

 

── なんだかほっこりしますね(笑)。結婚の決め手はなんだったのでしょう?

 

富永さん:それもファックスです(笑)。ふだんの会話のなかで、ちょいちょい結婚を匂わせてくる文章があったり。「みきちゃんはどう考えてる?」という文字の下に、4文字の穴埋めクイズのように「( )っ( )ん」と書かれていて。これって「けっこん」か?みたいな(笑)。

 

── 可愛すぎませんか?ただ、どんどんミュージシャンのイメージから、かけ離れていく気が(笑)。

 

富永さん:記念にとっておきたかったけれど、感熱紙なので消えてしまいました(笑)。でも、いまでも私の心のなかで大切な思い出として残っています。

インドア夫婦が「テントを建てる共同作業」で感激して

── ご夫婦でキャンプをしたり、マウンテンバイクの大会に出るなど、大のアウトドア好きとして知られています。きっかけはなんだったのでしょうか。

 

富永さん:独身時代はお互い完全なインドア派だったんです。でも、結婚して2年経ったころ、夫が急に「キャンプに行ってみたい」と言い出して。当初は「テントなんかで寝られないよ」と思っていたのですが、1回はつきあうかと。

 

道具をそろえて行ってみたら、屋外で食べるご飯のおいしさや大自然の解放感が心地よく、ハマってしまったんです。最初はテントの立て方すらわからず、2人で四苦八苦。ようやく完成したときには、手を取り合って喜びました。結婚式以来の共同作業でしたね(笑)。

 

夜は満天の星空に感動したり、焚火を囲んで会話をしたり。炎を見ていると不思議と気持ちが落ち着いて、「じつはこんなことを考えていて…」と本音がポロっと言えたりするんです。その後はキャンピングカーを購入して、月に2〜3回出かけたり、テントと寝袋を持ってアメリカの国立公園を巡りながらキャンプやカヌー、トレッキングを楽しむようになりました。

 

── お二人とも、ハマると没頭するタイプなのですか?

 

富永さん:そこは似ているかもしれませんね。ただ、夫は慎重派で石橋を叩いて壊すぐらいのタイプなのですが、私は気になることがあったら確かめずにはいられないタイプで、「好奇心に貪欲すぎる」と言われます(笑)。これまで事故なくやってこられたのは、夫が手綱を離さずにいてくれたおかげ。お互いにたりない部分を補い合っている感じがしますね。

元キー局アナ「まさかロケを希望するなんて」驚きの復帰

── フジテレビを退社後、8年間のブランクを経て、2006年にフリーのアナウンサーとしてお仕事を再開されました。復帰のきっかけはなんだったのでしょうか?

 

富永さん:フジテレビをやめた時点で、「2度とアナウンサーはやらないだろうな」と思っていたんです。4年半の局アナ生活で、「どうやら自分にこの世界は向いていないらしい」と痛感していましたから。でも、結婚して6~7年が経ち、「これから自分は何がやりたいんだろう」と考えてみるものの、「これだ!」と思えるものに出会えずにいたんです。

 

そんななか、テレビをみているとき「いまの私だったらこんなふうにリアクションするな」とか「こんな伝え方をしてみたい」と、いつの間にかテレビ内のアナウンサーに自分を投影していることに気づき、「やっぱり私はアナウンサーの仕事がやりたいんだな」と実感しました。局アナ時代は、あまりに忙しくてインプットができず、引き出しがすべて開ききった状態でした。

 

でも、あれから8年が経ち、引き出しの増えた自分が再びアナウンサーに挑戦したら、どんなことができるだろう、そう考え始めるようになったんです。それに、仕事をせずに家にいることで、社会とのつながりがなくなっていくようで、不安や後ろめたさもありました。

 

── 後ろめたいというのは…?

 

富永さん:まだ30代半ばで体力も気力もあり余っているのに、無職で納税もしていないし、子どもにも恵まれなかったので、子育ての役割もない。なんだか社会の役に立ってない感じがしていました。どうにか社会のために自分を役立てられないだろうかと思ったときに、もう一度アナウンサーをやってみたい思いが湧き上がってきました。

 

── 時間をかけて自問自答されたのですね。

 

富永さん:私はいったん決断したら一直線に突き進むタイプなのですが、自分の気持ちがホンモノかを確かめるまでは慎重なんです。偶然にも決断したタイミングで、いくつかの事務所からお仕事の誘いをいただきました。それまで何年もそうした話がなかったのに、自分がアンテナを張りだしたら、運命に導かれるように扉が開いた。「縁」ってあるのだなと思いましたね。

 

いざ仕事を始めるとなったとき、「何がやりたいのか」を突き詰めて考えました。これまで主婦として培った経験や視点を生かしたい、いろんな場所でいろんな人に話を聞いて、そこで感じたいことを視聴者の皆さんに届けたい。そこで、主婦時代に見ていた「はなまるマーケット」でリポーターをやってみたいなと。でも、元キー局のアナウンサーがリポーターをやるのは前例がないとのことで、お断りをされてしまって…。

 

── キー局で活躍していたアナウンサーが、情報番組のリポーターをやるケースはあまり見たことがない気がします。

 

富永さん:当時、キー局出身のアナウンサーはスタジオのキャスターになる方が多く、ロケに出てリポーターをやる人はほとんどいませんでした。

 

でも、私としては世間からの見られ方とか、そんなのはどうでもよくて、自分のキャクターが活かせそうなこと、本当に楽しいと思えることに挑戦したかったんです。だから、どうしてもあきらめきれず、「ぜひやらせていただけませんか?」と直談判し、熱意を伝えたところ、「まあ、そこまで言うなら…やってみますか?」となかば引き気味に(笑)、なんとかOKをいただくことができました。

 

レポーターとして国内外に取材に行かせていただきましたが、取材慣れしていない一般の方からお話を引き出すのは、楽しい反面、難しくもあり、すごく勉強になりました。いまでは、キー局出身のアナウンサーもリポーターとして活躍される方が増えましたね。

 

── ある意味、ひとつのロールモデルを示した形ですね。

 

富永さん:人があまりやらないことをやりたいタイプなんです(笑)。「自分の心が動くもの」に挑戦すること。それが私のモットーです。

 

PROFILE 富永美樹さん

1998年、「シャ乱Q」まことさんとの結婚を機にフジテレビを退社。現在は、フリーアナウンサーとして、「東大王」などのクイズ番組や商品プロデュース等でも活躍。現在、東京と山梨での2拠点居住中。環境省「つなげよう、支えよう森里川海アンバサダー」を勤め、SDGs活動を発信している。

 

取材・文/西尾英子 撮影/伊藤智美 画像提供/スターダストプロモーション